© 表現未満、webマガジン All rights reserved.

文化センターが壊す当事者“性”

2日目の朝。7時頃だったろうか、膀胱がパンパンになっているのを感じて布団から起き上がり、自分にあてがわれた部屋の引き戸を開けると、部屋のすぐ隣の台所には女性がいて、部屋を掃除しているのが見えた。たけちゃんの夜間の世話を担当しているヘルパーの女性だ。

たけちゃんは今、たけし文化センターの3階にあるシェアハウスで生活を送っている。家には帰らずに、外部のステーションから派遣されてくるヘルパーの介助を受けつつ、風呂に入り、晩飯を食らい、寝て起きて、そして1階の「アルス・ノヴァ」(たけし文化センター)に通所する。

たけちゃんだってもういい歳こいた大人なんだし、親から自立して一人暮らししてもいいんじゃね? 大学とか卒業して就職してるくらいの年だし、世の男子と同じように親元から離れて友人たちと馬鹿騒ぎしたいはず。友人やヘルパーさんたちの手を借りれば一人暮らしできないこともないはずだし、そのほうが、本来のたけちゃんらしさも発揮されるだろう。

と、まあ、そんな感じでたけちゃんの試験的自立生活が始まったのだった(いや実際にはむちゃくちゃ深い議論があって始まったわけであって、その模様は「たけしと生活研究会」でも様々に綴られているのでそちらを参照されたい)。

2019年度から、たけしと生活研究会が始まった

共同生活が始まったのは2019年9月。なんだかんだ半年近い。生活に慣れつつあるたけちゃんは、あれやこれやはありつつ、なんだかんだで頑張っている。

そのおかげで翠さん(たけちゃんの母親でレッツの代表)は、たけちゃんの世話をつきっきりでする必要がなくなり、県外などに仕事でいけるようになった。ブログを見ると、今では少しだけ、本来やりたかったことができるようになってきたようだ。それは、実家から息子を送り出し、社会人として自立させて一安心した母、つまり普通の母ちゃんの姿だとぼくは思う。

そんなわけで、この日の3階には、ぼくとたけちゃんとヘルパーさんが泊まっていた。そういえば、おぼろげながら、夜中に起きてしまったたけちゃんにご飯を食べさせてるヘルパーさんの声を聞いた気がする。納豆ごはんがどうとか聞いた覚えがあった。その時にちゃんと起きてトイレに行っておきゃあこんなに膀胱が膨れることもなかったわいと頭をボリボリしながら部屋の扉を開けた。

「あ、おはようございます。ここに泊まってた小松ですー、どうもー」

「すみません、昨日の夜中、起こしちゃってませんか? たけし君、お腹すいちゃったみたいで、冷蔵庫開け始めたので、ご飯作って食べてたんですよ」

「いや、ほとんど寝てたんで大丈夫っす。ト、トイレ行ってきますー」

尿意に襲われていたとはいえ、今のやり取りはちょっと愛想なかったなと少し後悔したぼくは、軽やかにトイレを済ませると、「たけちゃん、昨晩はどんな感じだったんすか?」とヘルパーさんに声をかけた。

その時は、ちょっとだけ喋って少し寝るつもりだった。メガネもかけてないし髪もボサボサだった。ところが、始まった会話は途切れることなく1時間以上続いた。ぼくも話したかったし、もしかしたら、ヘルパーさんも話したかったのかもしれない。話したことがむちゃくちゃよかった。忘れないうちにポイントをいくつかに絞りつつ書きなぐっておく。

介護には観客が必要だ

「たけしくん、成長したなって感じました」とヘルパーさんは言う。「夕方の担当の方から、今日のたけし君は荒れてますよって聞いてたのに、ご飯も一人でおとなしく食べてたし、私がやり始めた頃に比べて、意志もはっきりとしてきたし、安定してきた感じがするんですよ」。

月に一度しか訪問してないぼくにとって、たけちゃんの成長は想像するほかないけれど、母親の庇護下から抜け出したことでむちゃくちゃ激しく環境が変わり、そこに順応すべく、色々なものが変化してきたということかもしれない。同時にヘルパーさんの方も、コミュニケーションが難しいたけちゃんの要求を少しずつ読み取れるようになったということなのだろう。順応したのはたけちゃんだけではないはずだ。

「こんな感じで重度の障害のある人が住むシェアハウスってどう思いますか?」と聞くと、ヘルパーさんは「いいと思いますよ」と好意的だった。その理由を聞くと「閉じこもってないのがいい」と。

「私が来たばっかりの頃は、たしか、大学院生みたいな若い男性がいて、あとは細くて背の高い男性もいました。そうやって色々な人がいるのがいいんです」とヘルパーさん。ああ、細くて背の高い男性とは、大阪からやって来てたアーティストのタカカーンさんだなと察しがついた。名前は忘れちゃったけど院生もいたわと思い出す。その2人もぼくも専門家ではない。3階にはそういうわけのわからない人が短期・長期問わず滞在する。それが「いい」とはどういうことだろう。ヘルパーさんは続けた。

「介助の仕事って閉じられた環境だから、たけし君にひどいこと言ったり暴力を振るったりしても、誰にもわからないですよね。私にストレスがあったら、怒鳴ったりしてしまうかもしれない。でも、外の人たちがいるから、私にも『見られてるって感覚』が生まれて自分を抑えることができるんです。外に開かれて、色々な人がいた方がいいんです」。

ぼくはその話を聞き、「介護にも『観客』が要るのだ」と思ってハッとした。観客がいないと、その空間は「支援する人/される人」の関係に閉じてしまう。そこにいかに濃密な時間があったとしても社会に開かれることはない。観客の存在が、「支援する/される」の閉じた関係に「外部」をもたらし、その外部が働きかけることで、図らずも支援が豊かになる。そう解釈した。

たまたまそこにいた滞在者/観客が、ヘルパーさんのより良い支援に間接的につながっていたわけだ。都合のいい解釈だとは思うけれど、ヘルパーさんの話は、そんな風に聞こえた。

これまで、色々な人から「介護の仕事は演じることが大事だから演劇に似ている」って話を聞かされていた。ところが、そういう「演じ」があるということ以前に「観客」がいたのだ。いくら閉じた空間で「演じ」たとしても、観客がいて初めて演劇が成り立つのと同じで、介護もまた、第三者がいることで初めて成立する。そういう解釈もあり得るかもしれない。

いや、もちろん支援の場は、その局面においては「支援する人/される人」のふた通りの人しか存在しない。けれど、この3階のように、介護・介助という現場に「観客」を挿入することはできるはずだし、「観客のいる介護」について思索を深めることは、既存の介護にとってもプラスに働くはずだと思った。

御多分に漏れず、ぼくは当然演劇の専門家ではないから、ぼくの解釈は間違っていると思う。けれど、ヘルパーさんが語る「介護の観客」の話はとてもワクワクするものだった。演劇と介護、観客と演者、なんかあるなと思えたし、ぼくが次に学ばなければならないことが見えてきた気がして、とてもワクワクしたのだった。今はそれで充分とする。

「親と子」の、閉じた関係

ヘルパーさんの「もっと外に開いたほうがいいと思う」という話をさらに続けて聞いていくと、話題の中心は「支援する人/される人」の関係だけではなく、その核心、つまり「親と子」の関係に移っていった。「支援する人/される人」の関係に観客が必要なのと同じように、「親と子」の関係もまた、もっと社会に開かれるべきだ、というのである。

ヘルパーさんたちは、1日のなかで、親よりも長い時間を当事者と過ごす。もちろん親子の関係ではないので、外から客観的に親子関係を見ていたりもする。だからこそ、親子では見つけられない違和感や、それゆえの改善点を提案することもできる。介助・介護・福祉の世界のプロであり、色々なケースを見ているからこそ外の目線でさまざまな提案をすることができる。

けれど、結局ヘルパーさんは家族関係の外の人だ。親から「前もそうしたけどダメだった」とか、「この子のことは私が一番よくわかっている」とか、「家族の問題だから口出ししないで」と言われてしまったり、直接そうとは言われなかったとしても、そういう雰囲気を醸し出されると、ヘルパーとしては何も言えなくなってしまうよねと、そんな話になった。

子どものことを守っているのかもしれないけれど、外部との接触を無くして可能性を潰してもいる。障害のある子どもだからこそ守ってあげねばという心は、より強く働くはずだ。いや、それは福祉に限らずどこにでも起こりうる。ぼくにだってあるだろう。

親であるがゆえに子に徹底して寄り添おうとする。けれども、その思いが強くなるほど外部を遮断してしまうことにもなる。障害が重いほど外の助けや社会の理解も必要であるはずなのに、逆に内側に閉じていってしまう。家族は、家族ゆえに家族を守らなければならないと強く思ってしまい、閉じてしまうわけだ。

そこで考えなければならないのは、当事者「本人」の存在だ。本人が本当はどうしたいのか、親だけで決められる話ではない。親は当事者性が極めて高く見える。親の意見は尊重すべきだと思ってしまう。子を守ろうとすることは「親としての当然の責任」のように思えてしまうし、周囲もそれを要求する。だから外からは何も言えなくなってしまう。

けれど、親ゆえに見えなくなるということも当然あるし、そもそも、親の意見は子の意見ではない。とても難しい問題だ。

思い出したことがある。いわきで関わる地域包括ケアのメディア「igoku」の取材で、仙台市に住む若年性認知症当事者、丹野智文さんを取材した時のことだ。詳しくはこれを読んで欲しいのだけれど、丹野さんは、ざっくり要約するとこんなことを話していた。

igokuに掲載された丹野さんのインタビュー記事

認知症と診断されると、「きっと何もできないのだから家にいるべきだ」と思い込んでしまい、家に閉じ込めてしまう。それがかえって本人の可能性を狭めてしまい、自信を失わせ、認知症の症状をより深刻なものにしてしまう。スマホのアプリを使ったり、周囲の人たちにちょっと手助けしてもらえば、認知症だって色々なことができる。子供ゆえに、親を守ろうとしてしまう。支援者ゆえに、可能性を狭めてしまう。それでは本人の思いに近づくことができない。

ぼくは、ヘルパーさんの話を聞きながら、丹野さんの話を聞いたときの衝撃を思い出していた。家族であるがゆえに、支援者であるがゆえに、目の前の人を守りたい、守らねばと思う。けれどもその一方で、その思いが強まって外部を閉ざしてしまうと、外からは関わりにくくなるし、逆に依存度が高まってしまう。家族への依存が高まれば、その人の居場所は家になり、支援者への依存が高まれば、その人の居場所は施設になる。社会には開かれにくい。

もちろん、そういう環境で守られていくことを望んでいるのならばいい。けれど、そうじゃない、働きたい、できることは自分でやりたいという人の思いはどこにいくのか。尊重すべきは家族や支援者の意向ではなく本人の意向だ。本人の意向を確認し、その意向に沿うように支援する。支援とはそうあるべきではないか。丹野さんの明るい声が、強く思い出された。

ヘルパーさんの話は、ぼくの中で丹野さんの話とつながった。家族が、その強い思いが、本人の意向を遠ざけ、周囲の関わりにくさ生んでしまうこともあるということだ。そして、そんなふうにつながったがゆえに、レッツの新しい取り組みの「特異さ」にも思い至った。それだけ強い「親の愛」を超えていこうという取り組みだからだ。久保田さんのブログから少し引用してみる。

この事業の肝は『他者』だ。親でもない、介助者でもない、普通の友だちのような知り合いのような人たちがどれだけ入り込んでいくか。そしてもう一つ肝なのが「親が考えない」ことだ。つまり、私が考えないこと。親の都合で作らないこと。彼らの第一の理解者、代弁者を「親」と考えないこと。

「親なき後」という言葉がある。「親の死後、わが子が路頭に迷わないために今から何とかする」といった親心を象徴した言葉。しかし私は「親なき後をぶっ壊せ」と言っている。

わが子といえども成人したたけしの人生を私は考えたくない。それはたけしの周りの人たちが同意しながら作っていけばいい。親が考えたところで、所詮、老いていく自分たちと、いままでの苦い経験知から発想する生活なんでおもしろいものになるなんて思えない。もっと言えば、親の安心、安全、気休めにどうしてもなってしまう。それよりも、親からすれば「ちょっとそれは・・・」と思うことがワクワク行われる方がたけしの人生は豊かになるだろう。私はそれを、少し遠くから時々眺めるぐらいがいい。(レッツ代表久保田のブログ「あなたの、ありのままがいい」より引用)

もちろん、翠さんに強い葛藤があることはブログからも察せられる。母親としての葛藤。一人の人間としての葛藤。しかし一方で、葛藤や悩みだけでなく、「親と子の関係」を外に開くことへの希望もまた綴られている。シェアハウスの取り組みは、「重い障害のある人たちの自立を目指す」取り組みであるだけでなく、私たちの考える「家族」という制度・概念の「更新」であるようにも思う。

昨年の夏、シェアハウスでの取り組みについて語っていた翠さん

親を孤立させるスパイラル

ではなぜ親は「親亡き後」のことをここまで思いつめて考えなければならないだろうか。ちょっと遠回りになるが「孤立」をキーワードに少し考えてみたい。

なぜ「孤立」が思い浮かんだかと言えば、これまた「igoku」の取材で、いわき市内で活動するソーシャルワーカーの対談をした時に「孤立」の問題が大きくクローズアップされたことが引っかかっていたからだ。そこで語られていたのは、課題が重いほど孤立し、孤立が当事者を見えにくくし、課題をより重いものにしてしまうという問題、いわば「孤立のスパイラル」の問題だった。

その対談企画で、昨年秋にいわき市を襲った台風19号水害の避難所の話になった。助けてくれと声をあげられる人はまだ支援につながる可能性があるが、深刻な人ほど「迷惑がかけられない」とか、「もっと大変な人がいる」とか遠慮してしまい、支援につながらなくなってしまうという。

子連れの母親は「子どもが騒いで迷惑をかける」と避難所に入るのを遠慮して車の中に居続けてしまう。障害のある子を持つ親は、そもそも避難所では然るべき支援を受けられない。ひどい人ほど支援につながらず孤立してしまうそうだ。気が付いた時には社会から切り離され、困難はさらに重くなっており、解決に時間がかかってしまう。だから、普段から「迷惑をかけていい場所」や「居てもいいという居場所」を作らなければならないと、そんな話になった。

困難な状態にある人ほど多くの依存先を作らなければならないのに、なぜか「家族」や「施設」に押し込められてしまう。それは「自己責任」の変形だ。自分で責任取れないなら家族が責任を取れ、所属先が責任を取れ。日本とは、悲しいかなそういう国でもある。

なぜそういう国かといえば、システムがそうなってしまっているからだ。例えば幼稚園。ちょっと気難しい子や、集団行動が得意じゃない子は、やれ他の先生の負担になるだの、やれ他の生徒に負担になるだの、専門的な教育のほうがその子にとってもいいだの、「発達障害かもしれないので診断を受けて」などと言われて専門の園に移ることを勧められたりする。小学校も中学校も同じだ。ぼくたちは小さい時から「障害の排除された社会」で暮らしている。

先ほど紹介した認知症の話も同じかもしれない。ぼくたちは、つまり、物心つく前から、本人の意思を確認せずに、障害を排除し、その家族や専門家や福祉事業所に「押し付けて」いるのである。本人がどうしたいのかを頭ごなしに否定して、「その人のため」と言いながら、その実「排除」しているのだ(だから社会に出ていきなり「多様性」とか言われても反発があるのは当然かもしれない)。

だから、「健常者」とされる人は、世の中に紛れもなく存在する障害をほとんど知らずに育つ。そして反対に、弱者ほど「迷惑をかけちゃいけない」と強く思ってしまう。長年にわたってそういう人生を長年歩んで来ずにいられなかった家族が、「私たちの苦しみは私たちでなければわからない」と思ってしまうのも当然かもしれない。そうさせているのはぼくたちの方なのだ。

このように、問題は二つある。ひとつは、当事者側の問題。家族や支援者が「つとめ」を果たそうとし、果たそうとするがゆえに閉じてしまうということ。もうひとつが、社会の側の問題。当事者“性”に遠慮してしまったり、障害が切り離されていることを知らなかった。そうやって切り離しているから余計に当事者の孤立が生まれている。開きあい、歩み寄らなければならない。

家族が見なければ(見るべきだ)という思いは、本人の可能性を狭めるだけでなく、支援の場もまた自宅に狭めてしまう。支援者が見なければ(見るべきだ)という思いは、本人の可能性も同様に狭め、支援の場も施設に狭めてしまう。狭めた結果、周囲の負担は重くなる。負担が重くなると、家族や支援者は「迷惑をかけられない」と遠慮し、社会は「難しい問題で関わりにくい」と遠ざけてしまう。まさにスパイラルだ。

脳科学者の熊谷晋一郎さんは、「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。と語っている。非常に鋭いと思う。(全国大学生活協同組合連合会ウェブサイトより引用)

健常者は自立していると思っているけれど、それは依存先が多いからだ。あまりにも多いところに依存しているから、依存してる感が薄まって、他所に依存なんてしてないと思えてしまう。一方、障害者は依存先が少ないから自立につながらず、いつも誰かの世話になっているように見える。まさにそれが「障害」なのだということだろうと理解している。

家族が見るべきだ、施設に入れておけ。専門家や有識者が考えるべきだ。そういう、一見すると正当性のある批判は、彼らの依存先を減らすことになる。依存先が減れば、彼らの自立は遠のき、障害者はずっと障害者でいなければいけなくなる。同時に、ぼくたちが障害を知る機会をも奪い、ぼくたちが、いかに多くの依存先を持っているかを自覚することもなくなる。

(福島の漁業の問題は福島の漁業者が考えるべきだ。政府がなんとかしろ。専門家や有識者が考えるべきだ。そういう一見すると正当性のある批判は、福島の課題を考えることの負担を当事者のみに押し付け、彼らの依存先を減らし、考える場を減らす。課題を一部の人たちに押し込めることになるのと同じだ)

親たちに「親亡き後」を考えさせているのは、実はぼくたちなのだ。「親が見るしかない」「家で見るしかない」と思わせているのは、親の愛なのではなくて、社会に居場所がないからだ。家庭という依存先を作るのは家族。施設という依存先を作るのが支援者や専門家。社会のなかに居場所を作るのは、ぼくたちの仕事ではないだろうか。

いつかのたけちゃん。たけちゃんの依存先は、社会に点在しているはずだ

社会へ開くことで「当事者“性”」を外す

そうやって考えてくると、レッツが自分たちの活動を社会に開こうとしている理由が少しずつはっきりとしてくる。

1、社会の側に障害を顕在化させ、ぼくたちに考えさせる。
2、家族や支援者といった閉じた環境に外部を挿入する。
3、本人の周囲にある「当事者“性”」を外し、誰もが共事できる環境を作る。
4、「その人らしい人生」が見つかり、ともに歩める社会を目指す。

レッツの活動というと、まずは「1」を想起する。ぼくたちは障害者が排除された社会で暮らしている。そもそも障害を知らずに育つ。だから、知らないし知識もない。社会人になっていきなり「多様性」という言葉を強制されても、当然摩擦は起きる。だから、まずはできるだけポジティブな形で障害と出会う場を作り続けようとする。

けれど、その目線は「2」、つまり「家族」や「支援者」、つまり「当事者の側にいる人たち」にも向けられている。「親亡き後」なんてぶっ壊して、本人も親も自分らしく暮らしていけるはずだと。チャレンジしてみようと。そのために施設をオープンにし、ぼくたちのような部外者・素人の関わりしろを作る。

外部に晒されると、「3」、つまり、ぼくたちの考える「家族」や「当事者性」は意味の更新を余儀なくされる。実際「たけしと生活研究会」のプロジェクトでは、「家族」を再定義するようなトークが複数開催されている。もはや、既存の「家族制度」は「自己責任」の変形に過ぎず、依存先を限定しかねない。活動を通じて概念自体を更新しようというレッツの動きは、今ならとても納得できる。

当事者「性」を引き剥がし、外部に開くことで、個人にたどり着く

ここで大事なのは、レッツの活動は「当事者本人」には何も要求していないということだ。当事者本人が、自分がいたいようにいられる社会を作るために、その外側にいる人たちに(家族にも支援者にも、ぼくたち部外者にも)問いを突きつけているのだ。さらに翠さんは「障害児の母親」である自分へも問いを突きつけている。自分が口出ししてはいけないのではないか、と。

障害児の母親という非常に強い当事者性が、むしろ障害になる。だからそれを開こうとしている。ぼくにはそう見える。なんのためか。たけちゃんの可能性のためだ。徹底して接近し、庇護のもとに置いて守ろうというのではない。たけちゃんから距離をとって離れることで、社会の中にたけちゃんの新たな可能性を拓き、依存先を増やすことで自立を図り、たけちゃんを守る。そのためではないか。

なぜ「たけし文化センター」か

当事者「本人」の周辺には、当事者性の膜がある。まずもっとも厚いのが家族、とりわけ親。さらには兄弟。その外側に、支援者、専門家がいて、施設の職員や有資格者、実働者がいて、さらにその外側にぼくのような「ちょっと関心のある人」がいて、もっとも外側にはほとんど関心のない人たちの層がある。

外側にいる僕たちから見れば、支援者や専門家も「当事者」であるように見えるし、支援者からすれば、本人の兄弟や親は自分たちより当事者性が高く見えるから、家族に物申すのは躊躇われてしまう。みんな「より当事者性の高そうな人に遠慮」してしまうわけだ。だから「本人」にたどり着けなくなってしまう。そうやって当事者性の濃淡で判断してしまうことが誤った見方なのかもしれない。大事なのは本人の意志だ。

では、たけちゃんの意志とは何だろう。たけちゃんはうまく言葉で伝えられないから、専門家すら意志を確認することは難しい。久保田さんは以前こう言っていた。「親だってたけしのことなんて分からないですから。他人も私も一緒で想像するしかない」と。想像するのに確かに「コツ」は要る。けれど、想像するのに資格はいらない。人と人が接するのにプロもアマもない。たけちゃんの新しい依存先は、ぼくたちの側に開かれている。

ぼくたちは遠慮してしまう。当事者じゃないし、専門性もないし、助けられないと。けれど、知らないだけなのだ。実際にレッツのみんなは、人と人は案外深いところでお互いの存在を許しあえること、ぼくのような外部の人間もできることがたくさんあることを教えてくれた。

社会課題も似たようなものかもしれない。課題が大きいほど、外側の人たちは容易に口出しできないと思ってしまう。SNSの普及したネット社会では容易に二項対立も生まれてしまう。だから面倒になる。内側にいる人は「よその人たちは私たちの苦しみなんて理解できない」と思ってしまう。だから孤立する。孤立するから難しくなる。難しくなるから知るチャンネルが減る。無関心が生まれ、風評と風化が進む。孤立のスパイラルだ。

レッツは、自らの当事者性の強さ、それゆえの閉鎖性を自覚するからこそ常に自分たちの活動を社会に開いている。最初に話に戻れば、まさに「観客を獲得するためにこそ」、レッツは自らの福祉施設に「たけし文化センター」と名をつけたのではないか。閉じてはいけないという自戒を込めて。

たけし文化センターは、障害のある人が多様な人たちとともに「自分らしさ」や「自立」を獲得するための場所である。と同時に、翠さんをはじめとする親もまた、世に求められる「障害児の親」らしさ(つまり当事者“性”)を脱ぎ捨て、自分らしさを再獲得するための場でもある。ぼくたちもまた、この場所で障害を知り、彼らとの共生の道を考えることができる。「文化センター」の名にふさわしい活動だと改めて思う。

観客も演者も、多様なほうがいい

たけし君は、ここでの暮らしに少しずつ慣れ始めているようだった。今でも調子が悪い時にはイライラしたりすることもあるけれど、もうここで暮らしていくほかないと諦めがついたのか、少しずつ暮らしに慣れ、ヘルパーさんとの意思疎通も測れるようになって来たという。ヘルパーさんご本人が言うのだから、きっとそうなのだろう。

ぼくは、たけちゃんが来た時に言葉をかけたり、手を掴まれるがままに歩き回ったりすることしかできない。よだれはまだちょっと苦手だ。けれど、今自信を持って言えることは、レッツは、そういう「観客」を求めているということ。そしてぼくらも「いたいようにしていていい」ことになっているということだ。

観客はただ客席に座っているだけではない。こうして朝早く起きた時に、演者と話を交わすこともできる。オガちゃんと散歩することもできるし、土屋くんと水浴びすることもできる。リョウガくんと歌を歌うこともできるし、太田くんと昼寝することもできる。そうやって開いていった先で色々とヘンテコな回り道をしながら、一緒にレッツを社会を作り上げていく。ここに包み込まれていたのは、障害者ではなかった。ぼくたちのほうだった。

ヘルパーさんは、たけちゃんに夜食を提供した深夜4時過ぎから1時間ほどウトウトし、たけちゃんが起きてくるのを待っていたそうだ。さぞかし疲れているとは思う。けれど「私一人で毎日見るわけじゃないから大丈夫。毎日違う人が回していけば問題ないんじゃないかしら」と話してくれた。

演者も多いほうがいい。観客も多いほうがいい。そういうことだ。

気づけば、時計は8時を少し回っていた。1時間も話し込んでしまって仕事の邪魔かなと思ったけど、ヘルパーさんはどこかスッキリしたような顔でたけちゃんを起こしにいった。ぼくも、3階の部屋の布団をたたみ、食い散らかした弁当のゴミを片付け、顔を洗って1階を目指す。

たけちゃんはもう3階を出発していた。2階で寝てるかな。1階でカチャカチャ石を鳴らしてるかな。たけちゃんに会ったら、昨日より気合を入れて「たけちゃん、おはよう」と声をかけよう。ぼくはそんなことを考えながら、1階へと降るエレベーターのボタンを押した。昨日とは違う新しい1日が始まろうとしていた。

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る