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親亡き後の福祉、そして福島

6月21日。レッツ観光は通算4日目に入った。

土曜日のたけぶん。9時頃からまったりと利用者が集まり始める。特にやるべき業務があるとか、取り組むべきカリキュラムがあるとか、そういうわけでもなさそうで、それぞれが居たいように居る、それは変わりない。

それでも、送迎車が到着すると、その度に少しずつフロアは賑やかになり、10時すぎになると2階からドラムを叩く音が聞こえてきた。7月に行われる「玄関ライブ」の練習だそうだ。静かな朝からだんだんとレッツらしくなってくるのがなんだか心地いい。

この日は、代表の久保田翠さんの講演を聞きにいく予定になっていた。レッツのことについてはなんとなく知ったつもりになっていたので、ここいらで久保田さんのまとまった話を聞くのはいいタイミングだと思っていたし、この日の講演は、障害を持つ子どもを持つ親がメインターゲットの講演と聞いていた。一般の人たちではなく、障害の当事者や家族がやってくる会場で、久保田さんがどんな話をするのか気になったのだった。

浜松から静岡へ行く車中、いろいろな話をした。ぼくが車を運転していたのでメモを取るわけにもいかず、記憶だけが頼りなのだが、久保田さんとは、「障害を持つ子と親」の関係についてひとしきり話をした。

ちょうど、神奈川県川崎市で51歳の男が小学校の児童を殺傷した事件がおきて報道が過熱していた頃だ。男性は「引きこもり」とカテゴライズされ、「引きこもり」に対する様々な人たちの意見も過熱していた。親の責任を問う声も大きく、その事件が引き金となって、別の日には元農林水産相の事務次官の父親が44歳の長男を刺殺するという事件も起きていた。

自殺するのなら1人で死ね。子どもの始末を親がつけるのは当然だ。個人が取れない責任は家が取るほかない。そんな空気が濃縮していた。政治や社会ではなく、個人と家族に責任を取らせようとする空気が、やがて「障害のある人」にまで広がってくるのだろうか。いや、そういう空気ならすでにあるのかもしれない。障害のある人間の世話は親が見るべきだ。何かあったら親が責任を取るべきだ。税金を無駄遣いするな。

久保田さんは、障害のある子を持つ親にだって人権があるはずだ、と言った。当たり前のことだと思う。けれどそうなってはいない。母親の人権は、子どもに障害があろうとなかろうと大きく傷つけられているのが現状だ。母親だけが、子育てのために色々なものを諦めなくてはならず、世間は、むしろ母親がいろいろなことを諦めることを「母の愛」だと思っている。

そういう社会では、母親は外に助けを求められない。孤立してしまう。だから親のほうも親のほうで「自分が死んだら障害のある子はどうするんだ」と心配を重ね、子のために色々と用意・準備してしまうようになるのかもしれない。結果、家族の負担も依存度も増えてしまい、親が死んだ後、子はほんとうに何もできなくなってしまう。個々の自立に必要なのは「親離れ/子離れ」なのではないか。

それからもうひとつ。車のなかで「障害の語りにくさ」についても話をした。「なんか、障害のある子どもの話をしていると、だんだん話が重くなっちゃいませんか? もっと気軽に話したいのに、すごく真面目な話に感じられちゃう」と久保田さんがボヤいた。

福島も同じですよ、とぼくは返した。原発事故の話題も話がしにくい。難しい話だと思われてしまうし、まあ実際に大変な事故だったので「むちゃくちゃ大変な土地」というイメージを持っている人も多い。しっかり学ぼうと思ったらそれはそれで大変だ。なんとなく「腫れ物」になってしまっているという感じだろうか。

支援する人のたちのなかでも意見は違うし、一方で差別的な言説も残る。そしてその外側には圧倒的な無関心。個人の困難さだけでなく「社会が持っているイメージ」のほうにも大きな課題がある。そういうところも、「福島」と「障害」で共通しているのかもしれない。

なんとなく「久保田さんの話はよく理解できるなあ」と共感できるのは、ぼくが原発事故を経験し、今なお福島に暮らしているからだろう。原発事故とは、つまり「障害」のようなものだとぼくは思う。ぼくたちはきっと、障害のある人たちやその家族と同じような「周囲のイメージ」の問題を共有しているはずだ。久保田さんと話をしていて、そんなことを再確認した。

彼らの行為を表現と呼べなければ表現などない

静岡市の会場に着くと、会場は人でごった返していた。久保田さんは、深刻にならないよう努めて明るく話しながら、時折熱を込めて、自分の理念やこれまでの思いを語っていた。以下に、ぼくがメモしたもののなかから、特に印象深かったところを抜粋して紹介する。

息子の壮くんの写真を出しながら講演する久保田さん

久保田:息子の壮(たけし)は、生まれてしばらく経ってから、ずっと石を入れてカラカラ鳴らしています。中学校まで特別支援学校で過ごしましたが、それは「問題行動」と言われてしまいました。がんばって色々なトレーニングもしました。でも、かなり重度なのでトイレにも行けない、ご飯も1人では食べられないし言葉も話せない。いくら訓練しても何ひとつ達成できないんです。

でも、入れ物に石を入れて鳴らす行為は続けてしまうんです。次第に、その行為こそ彼本人なのではないか、問題行動だと言ってしまったら、それを奪ってしまうことになるのではないか、と思うようになりました。では問題行為だと感じているのは誰なんだろう。少なくとも彼本人ではない。だったら彼がやりたいことをやりたいだけできる。誰も迷惑だと言わない。そんな「たけし基準」の場を作ろうと思いました。

レッツには、健常者なら5秒で下れる階段を20分も30分もかけて下る人がいます。この人のなかに、ものすごく豊かな時間が流れていると感じます。手すりを触ったり、一歩ずつゆっくりで、行ったり来たりものすごく時間がかかる。けれど、そんな彼と一緒に歩こうというワークショップをやって歩いたら、「めちゃくちゃ価値観を揺さぶられた」って話をする参加者がいました。彼らは存在するだけで誰かを揺さぶることができる。建物から出て道を歩くだけなのに、色々な人を変えていける。それが彼らの仕事なんだと思います。

だから、レッツでは、利用者がどんどん街に遊びに行きます。街のなかに行かないと社会は変わりません。問題が起きないと社会は変わろうとしないんです。健常者とは違う目線や感じ方を持っている彼らが街に出ることで、あちこちに波が立つように問題が起きる。それによっていろいろな人が考えたり、見え方を変えたりする。だから問題を起こすのが彼らの仕事です。

彼らのこだわりや行動がなんの役に立っているのかと言われれば、立たないですよ。けれど、どうしてもやってしまう水遊びや階段を下りること、石を箱に入れてカチカチ鳴らすことを表現だと思わねば、表現なんてないのと同じです。その人となりを表すものが表現であるはずです。自分を表す方法としての表現を大切にしていこう。そのことが、その人の存在を認めていくことになる。レッツは、そんな考えを大事にしています。

スタッフは25名いますがひとりも福祉出身の人がいません。アートを学んできた人、工場に勤務してきた人、音楽をやっている人、まちづくりをしてきた人、色々な人が来ます。そもそも免許なんてなくてもいいし、私たちの知らないところには、接してみたい、興味がある、彼らとの表現を楽しんでしまう、そういう人が大勢いるんだと気かされました。だから、そういう人をこちらに引き込んでくることが大事だと思います。

入野町にある「のヴァ公民館」。この建物がすでに「波」を作っている

犠牲になる「母親」

久保田:ほんとうに、社会に居場所がありませんでした。だから居場所が欲しくてレッツを作ったようなものかもしれません。母親って子どもによって大きく状況が変わってしまいます。私だって、もともとは全く福祉と関係のない人間でした。芸大では環境デザインを専攻していました。けれど、壮の世話をすることで仕事を諦め、辞めなければなりませんでした。

母親って、障害のある子のために自分を犠牲にするのが当たり前だと思われています。でも、母親にも家族にも、その人らしく人生を送る権利があるんじゃないかと思います。それなのに、日本の福祉は、家族が崩壊して初めて福祉のサービスが受けられるシステムになっています。母親は夢を諦め、自分を犠牲にしなければいけない。それが前提になっているんです。そこに母親の人権はありません。

そういう社会では、親の多くは私が面倒を見なければと思ってしまうし、私がいなくなったらこの子はどうするんだろうと不安になってしまいます。けれどそれも親の都合なんです。重度の障害のある壮ですら、もう他人を動かしているわけですから。親が介入しすぎるとダメなのではないかと思います。

父は外で稼ぎ、母は家庭を守る。私ですら、そんな価値観を刷り込まれているんだと気づきました。障害のある子どもが生まれたからと言って、誰も人生を変えなくていいような社会にしたいと思っています。障害のある子が生まれると、その子が中心になってしまうけれどそれは違います。個人の人生を尊重しなければなりません。

私も、数年前から色々なことをヘルパーさんにお願いするようにしました。そうしたらみんなが少しずつ楽になる。自分の時間も以前よりは確保できるようになりました。もっと早く利用しておけばよかったのかもしれません。必要なのは親じゃないんです。もっと外を頼っていいのではないでしょうか。

レッツ最初期の活動のチラシ。久保田さんの奮闘は、もう20年になる

支援者でも親でもなく、友人

久保田:最近、息子が金髪にしたんです。もちろん本人ではできないので、スタッフが寝てる間にやったんです。もう大人だし、友人たちが「きっとたけしには似合うはずだ」って言ってるし、いいかなって思いました。壮だって信頼できる人たちからそう言ってもらったら、多分納得するんじゃないかって。

やってみたら、しばらく機嫌もよくてすごく安定していました。金髪にしたことで、スタッフも利用者も、外から来る人も面白がって触りにきてくれるし、以前よりもコミュニケーションを取ってくれる。それが本人にとって気持ちがよかったのかもしれません。思えば、壮ももう成人しているわけですから。母親に細々と言われるより、気の知れた友人たちのアドバイスのほうがよほど気持ちがいいと思うんです。

壮が小さい時、旅行に行きました。けれど、駐車場の石を拾って遊んでしまってそこから動けないんです。親は見張りしなければいけない。壮の姉は、壮とはもう旅行に行きたくないと言う。それでもう壮とは旅行に行けないと諦めていました。けれども彼が20歳の時、みんなで2泊3日の旅行に行ったんです。みんなと言ってもスタッフが連れて行くんですけれど、壮を連れてアート展に参加したんです。

私は絶対に夜は寝ない、と思っていました。けれど、見事になんの問題もなくみんなで元気に帰ってきたんです。ああ、親と一緒に行ったらダメなんだとその時に思いました。だいたい20歳の男の子は親となんて旅行に行かないですよね。やっぱり友達と行きたい。それが自然だと思います。

皆さんも、「親亡き後」のことを考えると思います。自分が死んだらあの子はどうするんだと。けれど、子どもの人生は子どものものです。親にも家族にも人権があるんです。壮の人生は、壮と友人たちで考えればいい。壮だって、私とは行けないけど、スタッフと旅をしました。親は離れていいんです。

そこで大事だな思うのは、彼らの友人を作ることです。福祉関係者ではなく友人です。親目線でも福祉目線でもなくて、友人として知り合い、仲良くなる。そういう友人こそ、彼らの人生を作るんだと思います。だから、私たちもこれからは、友人、知り合いを作るということを活動としてやっていくつもりです。具体的には、たけし文化センターの3階にシェアハウスを作ります。泊まりに来てもらって、彼らと一緒に過ごしてもらう。そんな場所を作りたいんです。

今もうすでに、レッツで「タイムトラベル100時間ツアー」というのも企画しています。レッツにきて、彼らとほぼ100時間を過ごしてもらうという企画ですが、結構たくさんの方にきてもらっています。「人生が変わった」という人もいる。参加者のいいところは、興味本位で来ていることです。福祉職ではない。親でもないんです。普通の友達が大事なんです。

合うか合わないかは会ってみないとわかりません。ちょっと無理という人がいるかもしれないし、楽しかったという人もいるはずです。けれど、出会う場所が日本にはありません。「興味がない」以前の問題です。だからまずは、会う場所を作る。そういうところから、親がすべてを諦めなくていい社会を作っていけたらと思っています。

(講演の引用、おわり)

熱のこもった久保田さんの講演。障害者の親たちは、どう感じただろうか

久保田さんの話はとても明快だった。

障害があろうとなかろうと「個」を捉えること。そしてその「個」の表現を、対等な立場から尊重するということ。そしてその「個」を「社会」にぶつけていくこと。久保田さんの思想は、個を閉じ込めない。常に外に外に、社会に意識が向いている。

問題行為を「それこそ彼ら本人だ、面白いじゃないか」と価値をひっくり返していくことはとても「アート」的だと思えた。実際、レッツがやっていることをアートとして評価する人たちも多いし、ぼくが体験していることも同じだった。彼らのその問題行為がぼくの社会を見る目を変えてしまうのだ。

そして、そういう希望が、親だけでも、支援者だけでも福祉職だけでも成り立たず、その支援の外側にいる「友人」に広がっているというのがとても心地よかった。なぜなら、ぼくは「福祉職でもない専門家でもないぼくがレッツに関わって何ができるだろう」と思っていたからだ。ところが、「福祉職じゃないからこそ来て欲しいんだ」と久保田さんは言ってくれている。本当に心強い。

何も知らなくていい。専門職でなくていい。ただ興味本位で彼らと接してくれればいい。ぼくたちが素人としてソトモノとして関わる。彼らの存在を面白がってみる。とにかく一緒に過ごしてみる。そういう「支援を外れた場」にこそ、家族でも支援者でもない第三の関係が見つかる。そしてそこで生まれた友人が、今度は親にも少し余裕をもたらすことになる。

そうはならないかもしれない。やっぱ苦手だなと思う人もいると思う。けれど、どうなるかわからないから、やっぱり久保田さんはいつだって扉を開く。

レッツへの扉は、もう大きく開けられている。だからぼくはそこから中に入り、思う存分楽しんで、面白さを外に伝えていこうと思った。そしてすぐ、ああ、久保田さんがレッツでやろうとしていることは、ぼくが原発事故後の福島でやってきたこととほとんど同じではないか、と思った。

福島と障害

ぼくは、自著『新復興論』で、障害者のアート作品を展示する「はじまりの美術館」の岡部館長の言葉を借りながら、原発事故は「障害」だと書いた。

原発事故によって土地や文化、暮らしが奪われる。それは多くの人たちにとって体や心の一部をえぐり取られるようなものだ。回復可能な病気や怪我ではなく、癒すのが困難な障害だと捉えるべきだと思う。そんな自分を受け入れ、そこから新しい人生を始めるしかない。だからぼくは復興は諦めよう、中退しようと書いた。

周囲からの負のイメージも、福島と障害は似ている。人を見ずにカテゴリーや記号で語られてしまうのだ。偏見もなくならないし、差別的な言説を浴びせかける人もいる。

しかし、だからと言って「なんともない」わけではない。困難さは厳然と存在している。けれどもその困難さが社会のなかに提示された瞬間、アート作品のように、それに触れた者を開眼させてしまうのだ。レッツの利用者が、町の人やワークショップ参加者の価値観を揺さぶってしまうという話は、原発事故の被災地が、物見遊山で訪れた観光客に哲学的な問いを与えてしまうのに似ている。

素人が関わりにくいことも似ているかもしれない。障害は本人と家族、そして支援者でなければ接点を持ちにくい。原発事故に関する話題もまた、そこに暮らす人や専門家以外は関わりにくくなっている。「当事者」とされる人だけが議論を続け、語ることの壁は高くなり、外にいる人たちの無関心が進む。久保田さんは「友達が大事だ」と言った。福島も同じだと思う。

課題や障害が重いほど、本当は色々な人たちの協力がなければならないはずだ。周囲の人たちの理解も求められるし、古今の知も参照しなければならない。それなのに、課題の重さゆえ極度にまじめになり、内側の議論が激化し、家族や支援者しか関われなくなってしまう。ふまじめさは排除され、友人になれたかもしれない周囲の人たちが冷めていってしまう。だからそうならないように、課題や障害が重いほど、ある種の「ふまじめさ」を持って外部を巻き込んでいかなければならないのではないだろうか。

福島を楽しみ、味わい尽くし、その土地の歴史をふまじめに楽しむうち、震災や原発事故に接続してしまい、結果的に、その被害の大きさを知り、犠牲に対する慰霊や供養につながり、社会を見る目が変わったり、ライフスタイルを改めるきっかけをつかんでしまったり、復興の今を知ることにつながってしまう。最初は興味本位や物見遊山だったのに、その人の人生を変えるような何かを受け取ってしまう。そんな回路をぼくは作ろうとしてきた。

久保田さんも同じではないか。障害を楽しんでしまう。彼らの表現を不謹慎なまでにイベント化したり、彼らと共に街を歩くことで、彼らと接する機会を作る。結果的に、障害の先にある個性や個人に触れ、障害のある人たちの理解が進んだり、合理的な配慮について詳しくなったり、彼らと友人になってしまったりする。最初は興味本位や物見遊山だったのに、その人の人生を変えるような何かを受け取ってしまう。

だいたい、大きな困難にまともに向き合っていたら疲れ果ててしまう。行き着く先は滅びしかない。そうならないように、楽しさや面白さ、私たちの社会を揺さぶる何かを、空元気でもいいから「ふまじめ」に伝えていこうとする。少なくともぼくはそうだし、久保田さんも、もしかしたら同じなのかもしれない。

数時間前、高速道路を走っているとき「福祉業界の人からは、久保田はけしからんやつだって思われてると思いますよ」と自虐的に笑っていた久保田さんを思い出した。久保田さんは、ぼく以上にふまじめな方だと思った。ぼくとは比較にならないほどふまじめだと思う。困難さの裏返しの、ふまじめさである。

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