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親の決定、友人との合意形成

7月17日、18日。レッツ観光は7日目、8日目に突入した。

まだ梅雨明け前。とは言っても7月ともなると浜松の夏は暑い。普通に座っているだけで汗が出てくる。

2日目。ぼくは入野の「のヴァ公民館」にいた。お昼前だったか、フキ子さんがこれからプールに入るというので、後にくっついて裏手にある庭に回った。公民館の裏の庭には水道があり、その水道の脇に水色の桶がふたつ置いてあった。

プールに入るのは、オオタくんとツチヤくんである。と思ったら、スタッフのフキ子さんも中で着替えてきて登場した。3人で水浴びするらしい。

まだ水道の水は冷たい。水の手触りを研究しているツチヤ君は相変わらずいい顔をしていて、嬉々として水浴びしている。オオタ君は、ツチヤ君とは対照的に、ゆっくりと、そして肌全体で水の冷たさを満喫するようにしていた。フキ子さんだけが「ひゃー冷たいーーー」と声を上げていた。

ただ水浴びしてじゃれ合うという支援だ

レッツの施設に来るといつも思うのだけど、いつもここでは「これが支援か!」という光景を目の当たりにする。今眼の前で繰り広げられているのは、大の大人が3人して水浴びしている光景だった。

何か一緒にモノを作るでもなく何かのトレーニングをするのでもない。利用者がこれをしたいという「思い」を支えている。そう、ただ、そこに一緒にいるのである。そしてその一緒にいるという支援の「楽しもうという工夫」が尋常ではない。このウェブマガジンにも、その痕跡が綴られている。

例えば、利用者の一人に、どうしても散歩したくなるヒラコ君という男性がいるのだが、最近、そのヒラコ君と長距離散歩をすることを、レッツでは「平子健康法」と呼んで楽しんでいるそうだ。散歩しまくるから一緒に散歩すると減量効果が高いということなのだが、そういう楽しもうという工夫は枚挙にいとまがない。というか、楽しむための工夫を凝らすのがレッツの仕事だという気配すらある。

ぼくは、目の前の3人があまりにも楽しそうでいい顔をしているので、思わずちょっとふざけたくなって来た。そして、自分のサングラスをツチヤくんとオオタくんの二人にかけてあげた。

どんだけかっけえんだよツチヤくん!
絶対香港映画に出てくるボスキャラだよな、これ!

うおお、ツチヤ君のこんがりと焼けた肌といい、オオタ君のいい感じに肥えた腹肉といい、なんだか往年の香港スターみたいだ!!

二人もまんざらじゃないようで、なんかニヤニヤして喜んでいるように見えた。もし嫌だったら自分で取ってしまうだろう。二人はぼくにサングラスをつけられるのを嫌がるそぶりはなく、むしろ大受けしてゲラゲラ笑ってるぼくに笑顔を向けてくれたようにも思えた。

日に焼けた肌にサングラスが絶妙に似合うツチヤくん!

だろ? サングラスつけて写真撮りたいよな?

ふたりとも、20歳そこそこの若者だ。きっとふざけたいに違いない。いや、これはぼくの勝手な思い込みだ。けれどぼくは、もし大学生くらいの若者と裏庭で水浴びしてたら、おい、このグラサンつけて写真撮ろうぜって提案していたと思う。だから、それと同じようにしてサングラスを渡しただけだった。そんなん悪ノリじゃんって言われたらそうかもしれないけれど。

ぼくは、別に目の前の二人を支援する仕事についているわけでもないし、そもそもどんな障害があり、どんな特性があるかも詳しくはわからない。だから、まあ、普通にしてるしかない。

本来、そこには「然るべき支援」があるのかもしれない。けれど、こんなことをしたら怒られるんじゃないか、これはふさわしい支援じゃないのでは? みたいなことを気にして目の前の二人とコミュニケーションの機会を失うより、今感じている「ノリ」みたいなもので接したほうが健康的だし楽しいはずだ。

ぼくは上機嫌でシャッターを押して、ふたりのニセ香港スターを撮影した。そして二人は結局小一時間水浴びして、顔に水をかけたり、ぽちゃぽちゃ感触を楽しんだりしていた。本当にいい顔をしていた。となりにいるフキ子さんは、二人に何か起きた時にすぐに動けるようにしながら、自分も水浴びをした。なんというか、ものすごくハッピーな空間だなと思った。

またちょっとオオタくんと仲良くなれて嬉しかった

自己決定ではなく合意形成?

そんな体験をした後、レッツの代表の久保田さんと、久保田壮くん(以下、タケちゃん)が、ある日金髪になったときの話をした。

タケちゃんを金髪にしようと言い出したのは一時期たけぶんにレジデンスしていたテンギョウさんという男性だった。テンギョウさんはタケちゃんとすっかり仲良くなり、「たけしには金髪が似合う」と思ったそうだ。それを聞いたスタッフの尾張さんは、それはいいアイデアだと話に乗り、タケちゃんが寝てる間にカラーリング剤をつけて金髪にしちまったのだ。

たけちゃんの母親でありレッツの代表である久保田さんは驚いた。その時の衝撃を、久保田さんはこんなふうにブログにまとめている。

何だかわからないけれど、悲しい気持ちになった。それは「本人の意思が確認できていない」と思えてしまうからだと思う。なんかモヤモヤ。(中略)多少ぶっ飛んでいる母親である私でも自ら「たけしを金髪にする」という発想はなかった。それは、私が初期に感じた、たけしの意思はどう確認すればいいか、という自己決定権みたいなものにとらわれていたから。しかし、たけしをよく知るスタッフと友人たちは、そこを軽々と超えていくのだ。

「合理的配慮」とか「自己決定」なんてことではなく、人として、友人として「合意形成」されていく彼のクオリティオブライフ。それは、安全で、無難なことだけではなく、ちょっと冒険的で、刺激的で、でも確実にたけしの新しい人間関係や社会を開くきっかけになるかもしれない可能性も含んでいる。これは決して「親」ではできないことだとつくづく思う。

モヤモヤしていた久保田さんに、テンギョウさんはこんな話をしたそうだ。「たけしを愛している人たちが決めたのだから問題ない。こんな格好をしたらもっと似合うんじゃないかと話し合って決めたんだから、それはたけしを無視したことにならならない」と。

確かに、そうかもしれない。久保田さんに当時の気持ちを聞いた。

「親だって彼がどうしたいのかを確認できるわけじゃないから、結局、親が決めるって言っても、それは自己決定ではないですよね。たけしを愛している人たちが決めるという意味では、親と同じです。父と母、二人しかいない親が決めるより、スタッフが合意して決めたことの方が、よほどいいと思いました」。

結果、金髪になったことで、たけしくんは注目を浴びたり、周囲から積極的にコミュニケーションをとってもらえるようになり、しばらくの間、機嫌も良かったそうだ。だから久保田さんも「たけしは、金髪を楽しんでいる」と当時のブログに書いている。

根っこの方が黒くなってきて馴染んできたタケちゃんの金髪

障害と家族

親すらも、本人の気持ちを確かめることができない。それが重度の知的障害の一面なのだと改めて知った。結局、親すら本人の気持ちはわからないのだ。

ではそんなとき、「親の決断」と「関係性による合意形成」とでは、どちらに重みがあるのだろう。久保田さんが言うように、二人しかいない親が決めるより、たけちゃんを愛するスタッフや友人たちが決めたほうが、愛の深さでは敵わないかもしれないけれど、少なくとも「社会に開かれている」という気がする。

久保田さんはこんなことを付け加えて話してくれた。「このあいだもたけしの支援会議をやったんだけど、私が決めるんじゃなくて、みんなが決めてって言ったんです。だって、親が決めるより、仲間たちが決めたほうが絶対に楽しいはずじゃないですか。」

タケちゃんは、まごうことなき一人の人間だ。本人には、本人らしく生きる権利がある。では「タケちゃんらしく生きる権利」とはなんだろう。こうして施設の仲間が楽しみながら、ああだこうだ言いながら「絶対たけしに似合う」と話し合って決めた金髪のほうが、なんだか「タケちゃんらしい」と思えてくる。

そして当然、母親である久保田さんにも、久保田さんらしく人生を送る権利がある。一生タケちゃんの面倒を見ていたら、行動は極度に制限されてしまい、久保田さんは自分らしい人生を歩むことはできない。

重い障害のある人たちを、「自己決定」でも「親の決断」でもなく、第三者による、より開かれた「仲間たちの合意形成」で支えていくこと。それが、本人や親が自分らしい人生を歩むための端緒を作るのではないだろうか。そんなあり方を目指したっていいはずだ。

もしかしたらこの考えは、「家」や「家族」を部分的には解体しかねない話になるかもしれない。抵抗感を感じる人もいるだろう。「やはり親が見るべき」と言う人も多いはずだ。しかし、重度の障害児を持つ親の「選択肢」は確実に増える。親が決めたって、仲間が決めたっていい。むしろ、仲間たちに任せちゃってもいい。

実際、タケちゃんは、親である久保田さんの意思を離れ、仲間たちと一緒に、その関係性において金髪になることを受け入れた。そして、今では、親元を離れてヘルパーや仲間たちとともに「シェアハウス」(たけぶんの3階部分)で暮らすことを模索し始めている。

タケちゃんのことを知っていて、タケちゃんのより良い人生を願っている友人、支援者たちが決める。その関係性を信頼するほかないし、少なくとも「自立」ということを考えたら、「親の決定」よりも「友人との合意」のほうが自立に近いよな、という気がする。だって親は、おそらく早く死んでしまうわけで。

そんなことを考えることができるのも、このレッツという法人の懐の深さゆえなのだろう。施設のなかに、「だってこいつぜってー金髪のほうがかっこいいっすよ」って言ってくれる友人がいるということだから。

本人の意思すら確認できない。そんな重い障害を前に、その人を愛する人たちが「こうしようぜ」と合意して、ともに楽しみながら突き進んでいく。福祉や介護の論理ではなく、それ以前の、人間として、友人としてこう思うよってことを合意形成の柱にしていく。それがレッツの流儀なのだろう。

ぼくがツチヤくんたちにサングラスをかけたことと、タケちゃんが金髪にしちゃったことと、暮らしそのものをシェアハウスに委ねようとしていることは、決断の重さがまるで違うから一緒くたにできない。けれど、そこに通底するのはなんだろうと敢えて考えを巡らせて見ると、とにかくレッツの支援というのは徹底して「家/内/親」から開かれていることなんだ。

久保田さんとタケちゃんの関わりの模索が、福祉や介護、支援とはどうあるべきかという問いを切り拓いていく。日々、すげえことが起きてんだなと改めて実感できた。

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