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ぴったりの名前──表現未満、のミーム
text : 瀬下 翔太
2019年10月28日から29日にかけて、「表現未満、」プロジェクトの一環として、たけし文化センター連尺町に滞在した。
暮らしている島根県の西端・津和野町から、JR山口線と新幹線を乗り継ぐこと6時間弱。浜松駅で降りたら、「有楽街」という繁華街を歩いていく。平日の昼間だけれど、夜の店で働く人がいくらかたむろしていたことをおぼえている。人口7000人の町にいると、都市の感覚がわからなくなる。10分ほど歩くと大通りに出て、すぐそこにたけし文化センター連尺町がみえた。
こんにちは、と言ってドアを開けると、静かな時間が流れていた。事前に持っていたにぎやかなイメージとは違っている。手前の机に、スッと背筋を伸ばして座っている若い人と、新聞を読んでいるおじさん。ソファでお腹を出して寝ている男性がみえた。奥のほうには、なにか作業をしている女性。とりあえず、手前の若い人に話しかけると、こちらをチラと見て「ああ」とだけ言い、すぐまた向き直ってしまった。
誰が通所者で、誰がスタッフかわからない。そのことに気がついたら、一気に顔が赤くなった。こういうときは、戸惑っていることを素直に認め、堂々としているのがカッコいいだろう。そう思って「すいません、小松理虔さんに誘われてきました! 瀬下です!」と、誰に言うでもなく大きな声を出した。先の新聞のおじさんが「ああ、どうも」と顔をあげ、奥にいたスタッフや通所者の方々をすぐに紹介してくださった。ホッとした。
挨拶をすませ、しばらくいろいろ話してから名刺交換をしたら、安堵が笑いに変わった。スタッフだと思って話していたおじさんは、スタッフでもなければ、通所者でもなかったからだ。本人曰く、“よく来る人”だって。ちなみに、この方は「笑っていいとも」に4回も出演したことがあるという村木多津男さんだった。将棋が強くて、歌も歌う。クリエイティブサポートレッツが主催するオーディション型ライブイベント「スタ☆タン」では、出演者兼審査員という反則的なポジションで関わっている。
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施設内をぶらぶらするうち、少しずつ雰囲気に馴染んできた。最高の寝顔でずっと眠っている太田さんや、二階にある半壊したキーボードでMerzbowみたいな音を鳴らす中村さん。ずっと一定のリズムで跳躍を繰り返す堤さん。それぞれが自分の過ごしたいように過ごしていて、ひとつひとつの行為にお小言を言われるようなことはない。じゃあぼくも、と思い、床に転がってストレッチをしたり、本を読んだり。いい気分に乗じて、面倒くさい内容のメールに返信もできた。
静かな時間は、ここでおしまい。外に出ていた小松さんたちやほかの人々が戻ってきたら、場が一気に動き始めた。ひたすら紙をちぎったり、投げたり、グルグルそこらを歩き回ったり、椅子の上に飛び乗ってみたり。それまでやられていなかった行為が次々に始まった。壁一面に配置されたチラシや作品、過去の報告書群の印象も相まって、カオスが極まる。裏の歓楽街にもひけをとらないエネルギーが溢れていた。ぼくは、初めてクラブに行ったときのような気持ちになった。楽しいんだけれども、ノれているんだかノれていないんだか、よくわからない。
そんなことを思っていると、堤さんにギュッと抱きしめられた。あんなに強くハグされたのは、いつぶりだったろう。なんとなく安心したような気持ちになる。何度も何度も抱きしめられているうち、彼が耳の裏のあたりをクンクンしていることに気がついた。自分のにおいが気になって、微妙な気持ちになる。「初対面で何度もハグされるのは珍しいですよ、認められたんですね」。一部始終を見ていた高木さんがそう言うと、また安心が戻ってきた。
戸惑っては安心し、また戸惑っては安心する。到着してから、そんなことが何度も続いた。いつものように、誰にもやさしく話す小松さんを見ていてると、どうして自分がたけし文化センター連尺町に呼ばれたのか気になってきた。大した実績があるわけでもなし、元気な若者というにはパンチも弱い。この問いに答えは出せなかったけれども、ぼく自身がこの場所を訪ねたかった理由は思い出せた。
──四年前、東京でうまく働けず、大学時代の先輩の伝手で、逃げるように津和野町に移り住んだ。少子化が進行する町で、ぼくは町内唯一の高校・島根県立津和野高校に関わるようになった。入学者の減少に悩まされていたこの学校で、ぼくは都市部から津和野で学びたいという生徒を集め、彼らが寝泊まりする〈教育型下宿〉(以下、下宿)を立ち上げた。
東京や神奈川をはじめとする都市部の中学校から、わざわざ津和野高校を選んで進学してくる下宿生たちは、みなユニークである。生き物が大好きで魚を釣ったり研究したりしている子もいれば、高校生と地域の距離を近づけようと、次々に交流イベントを開催している子もいる。ゴロゴロしながら映画やアニメを見ている子も、恋人に夢中な子も、折り紙の作品づくりに勤しむ子もいる。
このように書くと、ひとりひとりの活動が固定され、安定したもののようにみえる。しかし、実際には新しい興味が生まれたり飽きてしまったりすることは当たり前だ。変化を繰り返すなかで、自分らしい興味の持ち方や切り口が少しずつ、結果的に構築されていけばいい。この“少しずつ”を守っていくためにこそ、下宿という生活をともにする冗長な仕組みが役に立つ。
いま、教育の世界では、探究型の学びやプロジェクト・ベースド・ラーニングといった概念が取り沙汰されている。それらは決して悪いものではないし、ぼく自身も強く影響されている。しかし、これらが現場に導入されるときには、概念のもともと持っていたポテンシャルが引き出されず、ひどく限定されたテーマやプレゼンテーション手法の推奨と、それらに適合的な生徒のキャラクターを評価するための貧しいスローガンに成り下がってしまうことが多い──たとえば、社会課題の解決を目指したり、コミュニティをエンパワーしたりする行為は評価されるが、現実から距離を取って私的な世界を掘り下げるような行為は評価されづらい、というような。下宿は、生徒の行為をそうした基準で評価する場ではない。
アメリカの哲学者でありフェミニスト、ドゥルシラ・コーネルは、その著書『自由のハートで』(情況出版)のなかで「イマジナリーな領域」という概念を提案している。どのような意味の言葉かというと、その訳者のひとり、仲正昌樹が前掲書の解説で曰く、「イマジナリーな領域」とは「これまで無自覚的に形成されてきた『私』の『人格』を,意識的に再創造することを可能にする『場』」である。下宿の運営方針は、こうしたコーネルのアイデアに大きな影響を受けている。下宿は、自分がどのように生きていくのかを主体として決定する場ではなく、さまざまな試行錯誤を通じて自己イメージを何度も再創造する想像力と余裕を確保する場なのである。
他方で、「表現未満、」プロジェクトは、「だれもがもっている自分を表す方法や本人が大切にしていることを、とるに足らないことと一方的に判断しないで、この行為こそが文化創造の軸であるという考え方」を謳っている。ぼくは事前にこの文章を読んだとき、ひとつひとつの行為を「教育者」や「スタッフ」が断定的にジャッジする対象だと考えるのではなく、むしろ、諸行為を個々人の再創造や文化創造の軸として捉え直すという点で、下宿と「表現未満、」とは似たところがあるのではないかと思った──もちろん、単純に考えれば、教育宿泊施設と障害福祉施設は大きく異なるようにみえるけれど。たけし文化センター連尺町に短い時間ではあるが身を浸し、「表現未満、」プロジェクトのやりかたに触れて、下宿での活動につなげたい。ぼくは、そんなきわめて個人的な動機でここに来た。
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日が落ちて通所者がみな帰ると、また静かに時間が流れるようになった。夜は小松さんやスタッフのみなさん、理事長の久保田さんらと飲みに行くことになった。飲み会では、浜松の魚に舌鼓を打ち、たけし文化センター連尺町の状況やこれからについて伺ったり、酔っ払った流れで自分がいま抱えている問題を打ち明けたり、遅くまで楽しい時間を過ごした。
しかし、最も心に残ったのは、まだアルコールが入る前、飲みに行く道すがらのことだった。「私ね、長く浜松にいるけど、このへんの居酒屋を全然知らないの。たけしが心配でね、夜飲みに行くなんてことは、これまで考えられなかったから」。早足で歩く久保田さんが言った言葉だ。久保田さんは、2019年10月7日を期に、はじめて地元でお酒を飲めるようになったという。この日を境に、重度の知的障害を持つ久保田さんの息子・たけしさんが久保田さんのもとを離れ、たけし文化センター連尺町の3階にあるシェアハウス兼ゲストハウスでヘルパーの方々とともに自立生活を始めた。「そうだったのですね、今日はおいしいお酒を飲めますよね」。そのとき、ぼくはそれしか言えなかった。
たけしさんがヘルパーとともに暮らすまさにその場所に、ぼくと小松さんは宿泊した。部屋に帰ると真っ暗で、たけしさんはすでに寝ているようだった。飲み会でもご一緒したアーティスト・タカハシ ‘タカカーン’ セイジさんと少し話をした。タカハシさんは、久保田さんから“たけしとともに住むこと”を依頼され、ここでたけしさんとシェアハウスをしている。大阪にも家があるから、二拠点生活だ。こちらの暮らしはどうですかと尋ねると、ヘルパーの方が日々入れ替わっていくため、生活空間のなかに新しい人が次々と入ってくるところが新鮮だと話していた。たけしさんとの共同生活は、はじまったときから嫌な感じがしなかったとも。
ぼくは下宿を生活の実験だと思ってやっているところがある。高校入学とともに下宿にやってくる生徒にとって家族以外の人間と共同生活をするのはほとんど初めての経験だし、スタッフをみても、ハウスマスターは大学時代からともに活動している太田知也で、料理長は妻でもある瀬下愛真美だから、下宿は文字通りそこに巻き込まれる人の生活を変えている。しかし、タカハシさんのお話は自分の取り組みとはあまりにも位相が異なっていて、なかなかイメージすることが難しかった。ぼくはリビングで深夜三時頃まで別の仕事をしてから、二段ベッドの上にあがって寝た。下では小松さんがぐっすり眠っていた。
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次の日は、たけし文化センター連尺町に通う恋愛妄想詩人・ムラキングこと村木大峰さんによる、静岡県立大学でのワークショップに参加した。ほかの通所者やスタッフの方も一緒だ。ムラキングのワークショップは、もらったお題をもとに即興で詩をつくるというもので、その手法も実際に書かれる詩も、まとまりを持っているように感じられた。「表現未満、」というコンセプトとは別に、一般的な意味での「表現」や「作品」として、魅力的なパフォーマンスだった。
一方で、講義室全体をみると、「表現未満、」としか言いようのない光景が広がっていたように思う。ぼくや小松さんも含めた面々が、演台の横に配置されたゲスト席のようなところで、ずっとなにかしらのイタズラを続けてキャッキャしていたからだ。ムラキングがワークショップをやっている間も、その前の久保田さんの講演の間も。
たとえば、松崎さんは、手に丸めたティッシュのようなものをずっと持っていて、それをみんなにくっつけようとする行為にハマっていた。松崎さんは、ぼくがiPhoneのカメラを構えると、レンズにもティッシュをくっつけていた。この説明で伝わるだろうか、しいていえば、くさい匂いをおもしろがって他人に嗅がせるような感じかなと思う。なんだかおかしくって、ぼくはずっとニヤニヤしていた。
おそらく学生たちは、通所者とスタッフ、そしてぼくや小松さんをまったく区別できなかっただろう。最初にぼくがたけし文化センター連尺町を訪れたときのように。講義が終わるとひとり学生がやってきて、書いているシナリオを読んでほしいと話しかけてきた。ムラキングのパフォーマンスと、「表現未満、」のガヤのような行為が彼の背中を押したのかと思うと、なんだか嬉しくなった。
講義を終えてたけし文化センター連尺町に戻り、滞在最後の時間を過ごしていると、ひとつ事件が起こった。通所者同士の喧嘩だ。いったん誰かが怒ると、その雰囲気がほかの通所者にも伝染するようで、同時多発的にトラブルが起こった。本気で怒っている人間は、誰であっても怖い。スタッフ総出で場をとりなそうとするなか、ぼくはどうしたら役立てるかわからず、呆然としていた。
「外出をして疲れたり、生活のリズムが変化したりすると、ときどきこういうことがあるのです」と、水越さんが教えてくれた。必死の形相で激しい怒りやいらだちを表出しながらも、同時に、なんとかそれを自制しようとして、いっぱいいっぱいになっている通所者。それを必死でしずめようとコミュニケーションをとりながら、ぶつかったり壊したりしては危険なものを素早く遠ざけるスタッフ。ひりひりするような時間を、いまもはっきりとおぼえている。
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帰りの新幹線のなかで、改めて「表現未満、」のステートメントを読み返した。先に引いた「だれもがもっている自分を表す方法や本人が大切にしていることを、とるに足らないことと一方的に判断しないで、この行為こそが文化創造の軸であるという考え方」という文のあとは、次のように続く。(「表現未満、」は)「「その人」の存在を丸ごと認めていくことでもあります。良い、悪いといった単純な二項対立ではなく、お互いがお互いのことを尊重しながら、新しい価値観が生まれ、ともに生きる社会を皆で考えていく」。
「表現未満、」プロジェクトは、文化運動であるとともに、人権運動でもあるのだ。経験からいって、この日のようなトラブルが生じると「リスクにつながるから、やめよう」ということを言う人が出てくる。しかし、今回そういったレトリックをつかう人は、スタッフだけでなく通所者の家族の方々やほかの滞在者のなかにも、ひとりもいなかった。「表現未満、」の行為を守るということは、みんなのコンセンサスになっているようだった。
それぞれの「表現未満、」を文化として、権利として大切に扱おうとする姿勢は、どのようにして育まれているのだろうか。ぼくがそのヒントになりそうだと感じたのは、通所者がこだわりをもっているさまざまな行為を言い表す言葉をたくさん開発しているところだ。
たとえば、松崎さんの“鉄槌”(誰かの肩や背中をポコポコ叩く)や高橋さんの“ガムテ貼り”(文字通りだけれどガムテープをいっぱい貼る)、尾形さんの“おが台車”(好きなものがグルグル巻きになって乗せられた超イケてる台車)……。「表現未満、」に触れると、おもしろい言い回しにたくさん出会う。日々新しい言葉が生まれていて、それらは普段の会話はもちろん、ウェブサイト上の記事、通所者ひとりひとりについて書かれている膨大な量の記録など、「表現未満、」について語られるところでは、どこでも当たり前のように用いられている。さながら、ミームのように。
下宿においても、言葉は特別な役割を果たしている。なかでも、一年の区切りで下宿生ひとりひとりに送る言葉は重要だ。スタッフが世界文学からいわゆる名言、流行り言葉まで延々と調べ、色紙に書いて手渡しする。記した言葉の意図は渡すときに一切説明せず、ただもらってどう思ったかだけ少し話してもらう。うまく選ぶことができた言葉は、下宿生やスタッフの間で何度も振り返られ、ミームのように流通する。もちろん、ぼくたちが津和野でやっていることと、ここで行われていることの間には違いもある。まずもって大きいのは、通所者のなかには言語の理解が難しい人も多くいるということだ。新しく生み出される言葉のなかには、本人に伝わっていないものもあるかもしれない。
それでもなお、この場所から生まれてくる言葉は、ぼくにとって魅力的だった。静岡県立大学の講義の前後で、松崎さんに何度も“鉄槌”を下された。わりと痛い拳を受けながら、「鉄槌! 鉄槌!」といって一緒にたくさん笑った。ぴったりハマった名前がついていると、その言葉も指示されている行為も、大好きになる。ちなみに、松崎さんは、あまりわかりやすいとは言えないぼくの名字をまだおぼえてくれているそうだ。不慣れな客としてこの場所に滞在したぼくにとって、さまざまな行為に付されたぴったりの名前は、「表現未満、」を文化として、また権利として守り育てていくムーブメントに加わる手助けをしてくれたように思う。
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