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その名を呼びながら ~クリエイティブサポートレッツの断片集~

text:川内有緒

もし私が娘の子として生まれたいと思っていても
それは来世しかかなわない
その来世は大人にならずに
娘が産んだ幼子と共に
生活がしたい
それが日本であろうが
それが海外であろうが
暖かくも寒くもない世界に
私は娘と相談して
移住した後に
私の生まれ変わりの
娘の娘になりたい
(村木 大峰作)

 

私の娘の名は、七生という。

七回生まれると書いてナナオと読みます、人にはそのように説明する。

七回生まれる。

その奇妙なフレーズに戸惑いの表情を浮かべる人もいる。だから私は、重ねて言う。

「何回でも生まれ変われますように、とつけました」

輪廻転成を深く信じているわけではない。しかし、娘が生まれたとき、この子にはまた未来に生まれ変わって欲しい、何度でも、望むだけ、という嵐のような感情に体が貫かれた。

なんだろう、別にこの子はダライ・ラマでもないのに。

さらに告白するならば、━━いつの頃からだろうか━━、もし本当に七生が生まれ変わることがあれば、なんとかして自分も同じ時代、同じ場所に生まれ変わりたい、しかも、生まれ変わった七生の「娘」として生まれ変わりたい。つまり、娘の娘になりたい、という風変わりな願望を抱くようになった。あのねえ、あなた、そんな簡単な話じゃないのよ、とあの世の門みたいなところで言われたらと想像するだけで泣きたくなる。客観的に見ると、ストーカーみたいで気持ち悪い。だから、あんまりおおっぴらには話さないことにしている。

「たけし文化センター連尺町(たけぶん)」は駅から歩いて5分ほどの賑やかな市街地にあった。

そう広くもない空間だが、天井が高く、空気が抜けている。ホームページの印象そのままに、壁ぎわにはオブジェや絵、チラシなどがびっしりと並んでいて、はっちゃけた学園祭のようなエネルギーがグルグルしていて、あ、この感じは結構好きだな、と思った。

なかには、20人くらいの人がわらわらとしていた。

同じ空間はいるものの、一緒に何かをしているわけではなく、それぞれが好きなように時間を過ごしている。ひとりのスラリとした男性は、背中をエビのように反らせて、全力でめいっぱいオフィスチェアをバッタン、バッタンとリクラインさせている(このペースでいくと、たぶん1日に300回くらい)。その傍らのテーブルでは、少女のような雰囲気を残した女性が雪だるまのぬいぐるみを愛でている。そして、ギラギラと目を周囲に光らせながら走り回る男性は、風のように私たちの脇をすり抜けていく。

「あ、彼はヒラコくんです。ヒラコくんは他の人の飲み物をすぐ飲んじゃうので、飲まれたくないものを置かないように気をつけてください。(ヒラコくんに飲み物を飲まれないように頑張ることは)ここではヒラコ・チャレンジと呼ばれています」

そう言うのは友人の小松理虔さんだった。彼が私をここに連れてきたのだ。

「あとはまったりと過ごしてください」

理虔さんは言う。

彼はしょっちゅう「まったり」と言う。理虔ワードなのか、いわきワードなのかははっきりしないが、たぶん理虔ワードなのだろう。

まったり、まったり。

要するに自由にゆっくりと過ごしてください、という意味だな。

まったり、まったり。

ってさあ……ええと、なにしたらいい?

クリエイティブサポートレッツ(以下レッツ)については、実際に「たけぶん」に足を踏み入れるまで、ほとんどなにも知らなかった。なにしろ直前まで「レッズ、レッズ」と呼び続け、「あっちゃん、レッズじゃなくて、“レッツ”だよ」と友人のマイティに指摘されるくらいの無知っぷりだった。そうか、レッズといえば浦和だ。「赤(Red)」じゃなくて、「~しよう(Let’s)」か。濁音ひとつなのにその印象はガラリと変わり、反省した。名前を間違えてはいけない。名前にはたくさんの想いや意味がこめられている。

私たちがここを訪れた目的は、「観光」である。レッツは「タイムトラベル100時間ツアー」なるものを主催していて、それに参加しているのだ。観光ツアーということは、どこかへ案内をしてもらったり、何かの活動に参加したり、愛と感動のスペクタクルがあったり、みたいなことをなんとなく期待していたわけだが、そういう決まったプログラムはないらしい。

まったり、まったり……。

私は入り口付近の椅子にこしかけた。

椅子が空いていてよかった。それがなかったら、私はどこにいていいかわからなかったことだろう。

まったり、まったり……。

ノートとペンを取り出した。ICレコーダーも取り出した。

誰かを取材しようと思った。

ふと横を見ると、マイティが一人の中年男性となにやら話し込んでいる。会話はいい感じに盛り上がっているじゃないか。さすが、初対面の人にも臆することのないマイティだ。とりあえずは、その会話に割って入った。

初めてのレッツ。1日と半分を過ごした(写真中央が筆者)

マイティが話しているのは、カワちゃんという人だった。チェックのシャツを着て、細い目をニコニコと細め、話しやすい雰囲気だ。

有緒:こんにちは

カワちゃん:あー、こんにちは

有緒:ええと、ふたりは、なんの話をしてるの?

マイティ:ジュビロ磐田の話。カワちゃんは、ジュビロ磐田が大好きなんだって

理虔:カワちゃんは、女性には優しいんです。というか、女性としか話をしようとしないんですよ!

カワちゃんは、最近行ったというジュビロの試合ついて話していた。そして、携帯に保存されている映像も見せてくれた。残念なことに私は、ジュビロ磐田はおろか、サッカー全般について無知だった。

有緒:ジュビロって、J1なんだっけ?

カワちゃん:うん、そう、J1だよ。

マイティ:あっちゃんの旦那さんは前にサッカーの記者だったんだよ

有緒:そうそう、スペインで。FCバルセロナとか。メッシも取材したことあるって。メッシって知ってるよね?

カワちゃん:あー、うん。

カワちゃんは、関心がないのか、再びジュビロ磐田パスを繰り出してくる。

レッツのHP上にある「タレント名鑑」によると、カワちゃんは「アルス・ノヴァのお・も・て・な・し人。今日も「何か手伝いますう?」という人。そう、彼は観光客たちを、全力で「お・も・て・な・し」してくれていた。ありがとうございます。

チラシの上に文字を書き続ける男性がいた。太古から伝わるような、宇宙の摂理のような律動で描き出される文字は、アルファベットのようで、アルファベッドでもなさそうだ。グルグル、ガリガリ

彼の名は、堤亮賀さん。例の「タレント名鑑」には、「アルファベットを書き続けるのが日課。堤ワールド解明待ちです」とある。ということは、やっぱりアリファベットなのだろうか。

「いつもお昼ご飯の後に、書き始めるのが日課です」とスタッフの水越さんが教えてくれる。あまりに筆圧が強いので、紙は破れ、その下の机は傷だらけだ。

「おーい、せっかくお客さんが来てるんだから、少しこっち向いたら?」と水越さんがリョウガさんに声をかける。その声は届いているのか、いないのか。ただ、目は大きくぱっちりと開いていて、「一点集中!」という感じだ。

ごくたまに、ふっとこちらを見るけれど、視線は中空に向けられ、また文字を書く行為に戻っていく。

グルグル、ガリガリ。

有緒:どんな紙でもいいんですか?

水越:そう、どんな紙でも大丈夫ですね。チラシの裏とかでも。だから、色々紙を貯めてます。いちおう書き終わった紙もとってあります。

有緒:え、毎日だからすごい量になりますね。それにしても、いったい何を書いているんでしょうか。

水越:どうやら幼い頃の友達の名前を書いているらしいです。

有緒:名前かあ。そうか、これは名前なんですねえ。

これは誰かの名前――。 

急に草陰に岩清水を見つけたような涼やかな気持ちになった。

この世に、名前がない人はいない。全人類をくまなく調査したわけではないけれど、たぶん誰もが固有の名前を持つことで、世界70億人の他の人と区別され、等しく認識される。だから名前というものは、人生で最初の贈り物であり、地球に生まれた人類である証で、そして社会における存在そのものでもある。

リョウガさんは、友人の名前を毎日蘇らせる。グルグル、ガリガリ。誰にも読めない、その文字で。その友だちは、ずいぶん幸運だなと思った。

リョウガさんは、レッツのパンフレットの上に文字を書き続けていた

けっこうな時間、リョウガさんの名前書きを眺めていた。そのストロークを眺めるのが気持ちよかった。リョウガさんは、書きながら様々な声をあげるけれど、はっきりと聞き取れるのは「アンファンファーン」という叫びだけだ。

「子どもの頃、アンパンマンが好きだったようです」(水越さん)

アンパンマンは正義の味方だ。いつもみんなのために戦っている。

 ♫ そうだ おそれないで みんなの ために

   あいと ゆうき だけが ともだちさああ 

   アンパンマン やさしい きみはいけ!

   みんなの ゆめ まもるため

そういえば、うちの娘もアンパンマンが好きだった。3歳の誕生日は、本人の希望によりアンパンマンミュージアムに連れていった。

アンパンマンは毎回見事なまでに同じパターンで、バイキンマンたちがいたずらをして、誰かが「タスケテー!」と叫び、アンパンマンたちが出動。両者は戦った末にアンパンマンが「アンパーンンチ!」でやっつけるというハッピーエンディングだ。悪人は常に敗れる、という水戸黄門的展開がスカッと爽快で子どもにも訴えかけるのだろう。考えてみると、勧善懲悪を軸にしたアニメは実に多い。プリキュアシリーズも仮面ライダーも『ハリーポッター』もみんな揃って勧善懲悪ものじゃないか。

世の中、本当に勧善懲悪が好きなんだなあ。そうか、じゃあ私ももっと勧善懲悪をベースに本を書けば食い扶持に困らないはずだ。どうして今まで気がつかなかったんだろう。私はこれから、勧善懲悪ものを描くぞ! そんなどうでもいいことをブログに書くと、アフリカに長く暮らしていた友人の優くんから、こんな長いコメントをもらった。

「確かに(勧善懲悪は)共通の型だよね。最近しばらく、勧善懲悪思想が世の中で最も邪悪なものだと思ってたとこです。ケニアで部族間抗争が良くあって、子供とか女の人とか含めて虐殺されるんだけど、どちら側も、自分が正しい勧善懲悪ストーリーあるんだよね。俺がいた時は、タナデルタと言う場所で百人からの子供と赤ちゃんと一般の村人が虐殺された。で、彼らのストーリーは間違ってなくて。というのは、過去に無実の私たちの母親や幼い兄弟をアイツらは殺した、と言う分析は事実。ただ、時代によって加害者と被害者が入れ替わってるだけだから。だから紛争が無くならない。紛争は被害者が加害者を許さない限り無くならない。それだけでは必要十分条件じゃ無いだろうけど、この部分は見落とされがち。(以下略)」

私はハッとした。優くんの言う通りだ。

考えてみればバイキンマンも正しいバイキン的行為を行なっているだけかもしれないし、バイキンマンの方から見たらアンパンマンこそがミッションの邪魔をする諸悪の根源かもしれない。全ては見る人の立ち位置次第だ。そう思いながらいろいろ調べてみたところ、アンパンマンの初期、絵本の頃は、アンパンマンは貧苦にあえぐ人々を助けるというストーリーだったが、アニメ化のなかで現在のようなワンパターンな勧善懲悪型ストーリーに集約されたという。

そう考えると、40年間以上も日本全国の子供達が見続けているアニメ型アンパンマンに疑問を感じはじめた。もし、アンパンマンが「愛と勇気」を持ってバイキンマンをやっつけるんじゃなくって、「愛と勇気を持って一緒に生きよう」がメッセージだったらどうだろう? 敵と味方に別れずに、その違いを認め合い、話し合う。お互いに居場所を譲り合い、やりたいことを尊重しながら生きるのだ。

そんなのきれいごと? それじゃアニメにならない? そうかもしれない。でも、やっぱりこれからの子ども達に必要なのは勧善懲悪ではない物語だ。白黒もはっきりしない、勝ちも負けもない、無数の色がそこにある世界。それを子供の頃から見続けたら、世界の見え方が少し変わるような気がする。

「アンファンファーン」

午後3時、茶色い髪をしたツナギを着た若い男性がやってきた。お、彼が久保田壮くんだな、とひそかに注目した。壮くんは、レッツが生まれるきっかけになった人で、「たけし文化センター」の名前はこの壮くんから来ている。理虔さんによると、彼はこの建物の3階で暮らしているので、ここは彼の家でもあるのだ。

タレント名鑑によれば、好きなものは「石遊び、ビニール袋、音楽。好きな事にとことんこだわり続けるその熱意には目を見張る」。

どうやら、壮くんはスタッフさんたちと散歩に出かけることになったようだ。理虔さんもマイティもカワちゃんも一緒に行くようなので、自分も付いていく。総勢七人での散歩だ。

壮くんは今日まで熱を出していたそうで、足元がふらついている。

「壮くん、そろそろ行こうか」

スタッフさんに声をかけられても、壮くんはお母さんの久保田翠さんにひしっと抱きついて離れようとしない。それでも翠さんが視界から消えると同時にゆっくりと歩み始めた。その手には、蓋のないタッパーのようなものを持っている。中には小石がひとつ。壮くんはタッパーを振り、小石を終始かちゃかちゃと鳴らす。時折タッパーから石が飛び出し、誰かがあわてて拾って中に戻した。

散歩は壮くんペースで進み、私たちはゆるゆると街を歩いた。

カワちゃんはラジオを聴くために、片耳だけイヤホンをしている。

「カワちゃん、本当のSPみたいに見えるよ」と言うと、嬉しそうだ。壮くんが歩みを止めると、カワちゃんは思い出したように「ターケーシー!!」と声をかける。その声が意外と野太い。

ショッピングセンターに入り、玩具店の「トイザらス」に寄った。しばらくおもちゃを眺めたあと、「そろそろ帰ろう」ということになった。しかし、壮くんはエレベーターホールに座り込み、なかなか帰ろうとしない。きっとまだ帰りたい気分じゃないのだろう。ようやく通りに出たかと思うと、壮くんは道路に座り込んだ。ガラス張りのスターバックスから何人かの人がその様子を見ている。

「ターケーシー!!」

スタッフさん、カワちゃん、理虔さんなどみんなで「そろそろ行こう!」と声をかけ続けると、壮くんは少し体を傾かせて、一歩ずつ前に進み始めた。手には例の容器があり、中には小石が入っている。

石がかちゃかちゃなる。

石が道路に飛び出す。

誰かが拾って戻す。

石がかちゃかちゃなる。

石が道路に飛び出す。

誰かが拾って戻す。

石が、石が、石が。

蓋がついた容器ではダメなのだろうか、石の代わりに楽器ではダメなのだろうか。

などと考えるが、きっともう絶対的にダメなのだろう。私も1日1回は耳かきで耳掃除をするんだけど、その時使うのは竹製じゃないといやだ。そういうのと似ている気がするんだけど、どうだろう。そこには、合理性も理由もない。ただ、絶対的にそれがいい、あるのはその感覚だけだ。

壮くんと散歩に出かける
座り込んでしまった壮くんをなだめるカワちゃん

夕方、あすかさんという名の女性と20分ほど話をする。

「いま30歳です。前厄ですね。お守りだけは書いました! レッツのなかで動画を撮ってYouTubeにあげるのが仕事です」

そうして、あすかさんは、どうやって日々の映像を撮影・編集しているのかを話してくれた。そのハキハキした口調に、あれ、スタッフさんなのかなと混乱していると、「私は『精神』なので」と付け加えた。それから彼女は、子供時代から今日に至るまでを淀みなく話した。自分を傷つけてしまったこと。夜、寝られなかったこと。友達や家族に言われた言葉。その経験をどこか明るく淡々と話す。

あすか:以前は就労メインの別の福祉施設にいたんですか、どこか合わなくて疲れました。

有緒:そこと比べるとレッツはどうですか?

あすか:なんでも自分のペースでできる。それが、いいところでも悪いところでもあるんです。自由すぎるところ。どこにいてもいいですよ、と言われると悩む。最初は、どこに居たら邪魔じゃないんだろうと思っていました。でも、利用者の一人なんだから堂々としてればと言われました。

有緒:なるほど。いろんな人がいますもんね。ただ居るだけというのも、慣れが必要なんですね。いまは慣れてどうですか?

あすか:いまはだいぶ居心地がよくなりましたよ。でも、ここはぬるま湯ですね。あ、でも刺激もあるから、ぬるい炭酸湯ってとこかな!

うまいこと言うなあと思いながら、帰途につくあすかさんに手を振った。私は急いでその言葉をメモをした。“ぬるい炭酸湯”。

その夜、夕飯を食べて「たけぶん」に戻ると、壮くんはもう自室で寝ていた。私は、壮くんの隣の隣の部屋の二段ベッドの上段で眠った。

あすかさんの「炭酸湯」という言葉のせいか、明け方、壮くんと一緒に温泉にいく夢を見た。

目的地は「猿股温泉」(注:実存しない)。その温泉は山形にある、という設定になっていた。まずは浜松駅に行き、そこから新幹線に乗る。なかなかの長旅である。しかし、壮くんはショッピングセンターに寄りたいみたいで、いつまでも駅にたどりつけない。

山形か……、よりにもよって、なんで私はこんな遠い温泉を選んだんだろう? せめて熱海にすればよかった、と後悔するところで目が覚めた。

共有スペースにいくと、ヘルパーさんが壮くんのズボンを脱がせようとしていた。ちょうど取り込み中のようだ。

ねえ、壮くんは、私と一緒に温泉に行きたい?

その一言は口に出せなかった。

そこまでの関係になるには、もっともっと時間が必要だった。

翌朝、モスバーガーで朝食をすませ、タクシーで「のヴぁ公民館」に向かう。いくぶん年季が入った建物だが、中はやっぱりお祭りみたいだ。賑やかな色で彩られ、屋台やコタツスペースがある。

寒い日だったので、コタツに入らせてもらう。

そこにいたのは、黒くて艶やかな目をしたおかっぱ頭の女性。名前は里実さんで、年齢を聞くと、「25歳」とのことだった。

こたつって、素晴らしい。そこに足を突っ込んだ瞬間に、ああ、私たちずっと前から友だちだったよね、みたいな気持ちになる。ねえ、里実さん?

里実さんは、人にあだ名をつけるのが得意だそうで、またレッツメンバーの家族の構成やその名前なども把握しているという。同じ学校だったレッツメンバーについても早口で解説してくれる。

「あのね、あそこにいるのはアミ。アミは私の一つ上。だからアミは先輩」

私にもあだ名をつけてくれないかなあと思ったけれど、里実さんは集中して絵を描き続けている。

有緒:なにを書いているの。

里実さん:おそ松くん。こっちはおそ松で、こっちはカラ松で、それでこれが十四松。

有緒:おそ松くんか。里美さんさんは絵を描くのが好きなんだ?

里実さん:うん、そう。

有緒:他にどんな絵を書くの?

里実さん:うん、曼荼羅。ねえ、曼荼羅、こっちにいっぱいあるよ。

『おそ松くん』と「曼荼羅」という組み合わせのギャップに首を傾げながらしばし待っていると、スタッフさんがたくさんの小さな紙を持ってきてくれた。そこには直径2センチほどの小さくてカラフルな曼荼羅があった。里実さんは、そのひとつを「あげる」とプレゼントしてくれた。 

有緒:ありがとう。ちょうどよかった。家で待ってる娘へのおみやげにするね。

里実さん:うん、いいよ。名前はなんて言うの。

有緒:ナナオだよ。七回生まれるって書いて七生。

集中して絵を描く里実さん

 

里実さんは、再びおそ松くんたちを書き始めた。

確か、おそ松くんは六つ児の兄弟なのだが、容姿も服装も全く同じだから、友人はおろか親ですら見分けられない。性格はおのおの違うのだけれど、声を出さなければ彼らを見分けるヒントがなく、それを利用して六つ児はいろんなイタズラをする。名前は性格とある程度リンクしていて、ちょろちょろしてるやつがチョロ松、とわかりやすい。もしおそ松くんたちの名前が奪われたら、と想像するとなんだかゾッとする。

名前を奪われることで有名なのは、『千と千尋の神隠し』の主人公、千尋である。彼女は偶然迷い込んでしまった湯屋の女主人、湯婆婆に「今日からお前の名前はセンだよ」と言われ、その瞬間に契約書に書いた本当の名前は消えてしまう。彼女を助けるハクもまた本当の名を奪われた人であり、自分の名前を忘れてしまっている。だから千尋にも「本当の名前を決して忘れてはいけない」と忠告し、そして名前を奪うことは人を支配する手法なのだと教える。

幸いにして、千尋もハクも、最後には本当の名前を取り戻す。私は、特にハクが名前を思い出す戻す場面がやけに好きで、見るたびに泣ける。

一方の現実社会ではやむを得ない理由で、本当の名が永遠に奪われてしまう人もいる。そんなひとりが、ブラジルに住むアウラだ。私が彼らを知ったのは、あ、アゾンを特集したNHKのドキュメンタリー番組だった。何十年も前に、アマゾンの奥地で、「イゾラド」と呼ばれる文明と接触したことのない先住民がふたり保護されたという。彼らは部族の仲間からはぐれてしまったようだが、ブラジル側には彼らの言葉を理解できる人がいなかった。だからブラジル政府は、二人は「アウラ」、「アウレ」と名付けた。その後、アウレは先に亡くなり、あとにはアウラだけが残された。もはや、彼の言葉を話す人はどこにもいない。異なる名で呼ばれて生涯を終えるアウラ。テレビ番組では、誰にも理解できない言葉を話し続ける孤独な姿が映されていた。

色々な取材をするなかで、逆に自分の名前を出したくないという人もいる。プライバシーを守るためだ。そういう場合、Aさん、Bさんと表記したり、仮名やニックネームを使うこともある。残念ではあるものの、社会で生き続けるその人を守るためだから同意する。しかし、本人の意思確認もできないまま、その名前を出すことができないという状況は、耐え難いほど悲しい。それは人生そして存在を奪われるのと同じだ。もしアンネ・フランクが「Aさん」と表記されていたら、もうそれはアンネフランクと同じではない。名前はその人の人生であり、いのちそのもの。生まれながらにして誰もが等しく与えられ、一緒に生き、一緒に死んでいく。その名前を呼ぶことで私たちはその人を愛し、その後もその人は心のなかで生き続ける。

失ったいのちの名を呼べないような社会は最低だ。匿名でしか裁判を受けられないような状況は、上品に表現してもクソだ。

私は、彼、彼女らの名前を呼びたかった。

入野町の「のヴぁ公民館」に描かれた壁画

そうだ、レッツには、言葉を巧みに操る人がいるらしい。

村木大峰さん、通称ムラキングさんだ。名鑑には、「詩人5分で詩を作る。特技は即興ポエトリーリーディング」とある。何人もの人が「村木さんの詩、おもしろいですよ」と言う。

ええと、どこにいるのかな、とあたりを見回すと、ムラキングさんはすぐそこ、私の真後ろの席にいた。机の前に座り、大きなクロッキー帳を広げ、びっしりと細かい文字を書きつけている。眼鏡をかけ髭を伸ばしているせいか締め切りに追われている作家のようだ。

有緒:それは何を書いているんですか。

村木さん:これですか。これは、アイドルのデータベースを作ってるんですよ。

有緒:めっちゃ細かい字ですね。このようなアイドル情報はどこから得てるんですか?

村木さん:色々ですね。携帯で調べたり。

有緒:こんなに大勢のことを書くの、大変ですね。

ぎっしりと名前や情報が書かれているが、私が認識できそうな人はいなかった。私はそもそもAKB48ですら、ふたりくらいしか知らない。それにしても、村木さんもまた名前を書き続ける人だということに少し驚いた。そのクロッキー帳には名前と人生が詰まっている。だから、ムラキングさんの人生のなかに、他のアイドルたちの人生が入れ子状に存在しているようにも見える。いや、ムラキングさんだけじゃない。リョウガさんの中にも、壮くんの中にも、あすかさんの中にも、里美さんの中にも。私の中にも。

有緒:いまから私もポエムを頼めますか?

村木さん:ああ、いいですよ。ただ、いままでは上田假奈代さん方式をしていたんだけど、パクリになっちゃうとよくないんで、そこから離れていまは来世になりたいものからポエムを膨らませるようになったんです。

有緒:来世ですね、わかりました。

私は娘について話した。名前の由来。何度も生まれ変わって欲しいこと。来世では、自分は娘の娘になりたいこと。

「あ、なるほどー」

ムラキングさんはめちゃくちゃライトな口調で答え、迷いなくすらすらと文字を書きつけた。その詩を見た瞬間にイメージが浮かんだ。私は赤ちゃんで、暑くもなく寒くもない草原のようなところで暮らしていた。この詩のおかげで、もう自分の願いが叶ったような気がした。

有緒:なんだか泣けてきました。大切にします。

ムラキンングさん:そうですか。よかったですね。

よし、これで来世のことを心配するのは、終わりにしよう。社会全体を遠くから眺めるとクソでも、世界のあちこちを歩いてみれば岩清水が湧いているような気持ちの良い場所も実にたくさんある。だから今日も明日も歩き回りながら懸命に生きる。幸運にもこの人生で出会えた、その人の名を呼びながら。

(後記)

23時間30分。今回私がレッツに足を踏み入れ、一泊し、レッツを後にするまでに経過した時間である。その限られた時間の中で手にしたものはバラバラした断片だけだ。それはレッツの断片であり、そこにいる人たち日常の断片であり、また一人の観光客の思考の断片でもある。断片は不完全なものだが、一握りの真実くらいは宿していることを願う。割れたお皿のかけらからでも、模様の一部や素材など、それくらいはわかったりするのと同じように。しかし、断片に描かれていない膨大な部分があるのも真実である。だから、この手記も膨大な宇宙のなかに浮かぶ一握りの砂のように読んでもらえたらと思う。

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