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福祉の星座を結ぶ−−「福祉を編集する!」コラム①

クリエイティブサポートレッツ×EDIT LOCAL「福祉を編集する!」参加者によるコラム。「福祉の星座」というテーマのzineを作成することになったAチームから遠藤ジョバンニさんに執筆いただきました。


もしかして福祉って、実は私が思っている以上に奥深く、そして底なしなテーマなのでは?

ワークショップ「福祉を編集する!」に参加してまもなく、私の胸に去来した、この「いいようのないモヤモヤ」を改めて言語化するなら、こうなるだろう。

記者や広報職を経て、最近ライターとして独立を果たしたばかりの私は、知的障害をもつ弟の姉としての経験や、福祉施設職員としての職歴を活かして、今後は福祉に関する分野のライティングへ重点的に携わりたいと思っていた。

2021年12月3~5日、静岡県浜松市内で、合宿型実践ワークショップ「福祉を編集する!」が開催され、それに私も参加した。「表現未満、」でおなじみの認定NPO法人クリエイティブサポートレッツと、ローカルメディアに特化したウェブマガジン「EDIT LOCAL」がタッグを組み、グループワークを通じて福祉施設のPR・編集・情報発信について学ぶことができる3日間のプログラムだ。

ワークショップ開催の報せを受けたとき、私の関心のド真ん中にちょうどレッツがあった。レッツが舞台となった『ただ、そこにいる人たち』(クリエイティブサポートレッツ・小松理虔著)を読み、そしてWEBマガジン『こここ』にて連載されている、レッツに通う妄想恋愛詩人・ムラキングの記事執筆を手伝いはじめたばかりだった。福祉サービスを受ける人たちの行動やこだわりをひとところに押し込めようとせず、創造的に拡げようするレッツの活動に、多大なる関心を寄せていた。

その雰囲気を自分の肌で感じながら、ものづくりができる機会があるだなんて。そこでしか感じられないものとともに、そのときにしか出会えない人と「福祉」について語り合えるだなんて、まるで宝物のように美しい経験になるに違いない。そんな気持ちから私のワークショップは始まった。このときの私はまだ、福祉という渦に呑まれることなど知る由もなく、愚かにも無意識に、福祉を外側から見る立場だと思い込んでいた。

ワークショップに集まったのは、福祉施設従事者や編集者、クリエイティブ職に興味がある人など、年代も活動地域もまったく異なる総勢24名。1チーム8名の3チームに分かれて、各チームごとに福祉にまつわるオリジナル冊子の作成にむけたグループワークを進め、最終日には講師兼審査員の皆様へ、チームごとのアイデアプレゼンを行う。このワークショップは3日間で終わらない。2022年3月末の冊子発行を目指して動いていくための、いわば骨子を決めるための3日間になる。

ワークショップは、激動そのものだった。福祉というテーマから題材を切り出し、ワークショップの最終日の昼までに、冊子化のアイデアをまとめて、整理した情報をプレゼンテーション用の資料へ落とし込み、講師兼審査員の皆様へなんらかの方向性を示さなくてはいけない。

そして、ワークショップが進むにつれ、福祉というテーマは、人によってまったく異なる側面を持つことに、8名が徐々に気づいていった。もしかして、もしかすると私たちは、とんでもなく無謀なことをしはじめようとしているのではないか?

ワークショップ2日目。その予感はまさに的中し、私たちは福祉の宇宙へと、放り出されることになる。

福祉×(5W1H)=宇宙

1日目の簡単なオリエンテーション兼懇親会でメンバー同士挨拶を済ませる。障害福祉施設の職員、レッツのサービス利用者、児童医療従事者、編集志望、インハウスのWEBデザイナー、ライター志望、文化芸術系コーディネーターと、ライターの私。我ら通称「Aチーム」は、多彩なメンバーに恵まれた。

2日目の前半はローカルメディアや障害福祉に関する講義が続く。そのなかでも繰り返し唱えられたのは、新たなメディアやサービスを設計するために、基本中の基本である「5W1H」をつねに意識するということだった。ニーズを探ってターゲットを定め、そのための最適なアプローチを見つけていくことが重要だと改めて学んだ。「だれが」、「なにを」、「なぜ」、「どこで」、「いつ」、「どのように」。チームごとのアイデア出しを経て、冊子づくりのための議論がはじまった。

当初、我がチームは、とあるチームメンバーが出してくれた「誰かが困りごとや願いごとを書いたら、また別の誰かがそれを叶えてくれるノート」という素晴らしいアイデアから出発した。しかし、話せば話すほど、行き先が錯乱する。このノートを誰のものにするのか。困っている人は誰なのか。――そもそも福祉って、なんなのか。

私たちは最初の命題である「福祉とは何か?」に絡めとられて、いつまでもその場から離れられずにいた。なんなら2022年3月末の冊子作りに向けて編集作業が続いている現在もなお、その問いかけの波紋は広がり続けている。ワークショップ開催後、Aチームのメンバーとレッツの担当スタッフへ実施した、振り返りアンケートの一部をご紹介したいと思う。

■「福祉」にどのようなイメージや考えを持っていますか?

・バスや電車の優先席に描かれたオレンジのマークに当てはまる方たちのためにあるもの。

・かなり閉鎖的だと感じていたが、ワークショップを通して自分も福祉の中にいるのだということに気がついた。これが今回の収穫であったと思う。

・助けるべき相手、対象を決め、その人達の利益となるように動いたり、制度を整えること。

・どんな人間にもよりあう権利がある、みんなのもの。

・つかみどころがないが、自分が対象と分かればお世話になりたい

・マイナスイメージだけど偽善や上から目線な感じがします。

このようにひと口に「福祉」といっても、個々の福祉像はまったく異なっている。福祉の対象になるべき人、福祉を利用するための制度、道徳的な感覚など、様々な論点があり、それに対する価値観もばらばらだということがおわかりいただけるだろう。

こうしたお互いの意見を擦り合わせて方向性を探ろうにも、その話をするだけでもひと苦労なのに、そのうえ、普段言語化したことのない問いを扱うことで、自分で発した言葉すら、その瞬間ごとに微妙に温度が変わっていくのだから困ってしまう。話せば話すほど、メンバーの話を聞けば聞くほど、話題がものすごい速度で拡張していく。

……一度本題に立ち返ろう。私たちの大目的はなんだ。

……それは、「福祉を編集する」こと。

…………まず、じゃあ「福祉」って、なんだ?

じゃあ、福祉の対象になるべき人から考えてみる? それとも福祉を利用するための制度から? 人権と福祉ってなにが違うの? ていうか福祉って言い方、上から目線じゃない?  差別って、福祉を利用する人と利用しない人を分けることから始まるんじゃないの?

まるでめまぐるしく膨張してあちこちで爆発を起こす宇宙のようだ。ああ、こんなに広がりのあるものを、誰に、どうやって、どのように、届けたらいいのだ――!

編集という視点を持ち込む居心地の悪さ

議論がいよいよ煮詰まってきたところで、「一度ここで場所を変えて、何かアイデアをもらいにいこう」と、ワークショップ会場からほど近い、たけし文化センター連尺町へ見学に訪れた。恐れ多くもチームをまとめるという分不相応な役目を授かった私は、正直、はちゃめちゃにてんぱっていた。

前日にも見学へ訪れていたはずなのに、その日の私の眼には、たけし文化センターの景色はまったく違うものに映った。目を皿にして、空間を見渡す。なにか、なにか「ネタ」になりそうなものはないか。私たちが取り上げる「福祉」は、ここにないだろうか。焦る気持ちばかりがはやって、思考が上滑りして、居心地がすこぶる悪かった。

たけし文化センターで過ごしている利用者さんたちが、目的や意図なく彼ららしくいられて、その姿こそが文化の軸であるという「表現未満、」の考えに基づき尊ばれる場所で、私だけが(正確には私だけじゃないが)「目的」を持ち込んでいた。私だって諸々が許せば、今すぐこの「編集」的な視点を放り投げて、「表現未満、」として肯定される空間に浸りたかった。だが「福祉を編集する」以上、それは許されない。なにかを意図的に切り取って、見知らぬ第三者に分かりやすく伝えられるように、仕立てなくてはならない。

居心地の悪さが、そうした葛藤によってもたらされていたことには、後になって気づいた。そしてその「編集」という視点がもつ、ある種の乱暴さも。たけし文化センターのあの空間で、リョーガさんが図形を熱心に描いている、カワちゃんが椅子に座ってうとうとしている、その側で私はずっと気が立って仕方なかった。「コンテンツに仕立てる」という行動は、ありのままが尊いその姿をわざわざ「消費する」ことに限りなく近い。そんな視点をもった人間が日常に現れて、急に近寄ってくるのだから、彼らもそれを感じ取って居心地を悪くしていたかもしれない。でも、彼らとスタッフはそれを拒絶することなく、ごくごく普通の日常を送り続けていた。ときにはスタンスの違う異物すら吞み込んで場所の一部として引き受ける大らかさが、あそこには確かに存在した。

福祉の星座を結ぶとき

たけし文化センターから戻って再開した議論のなかで、「福祉という言葉を扱うとき、私たちは自分を排除して考えてしまっているのでは?」という重要な気付きを得た。本来我々は、福祉のサービスをあまねく受けられるはずなのに、「自己責任」を自分に求めるがあまり、福祉を自分のものだと理解できていない現状がある。

着々と作業フェーズを進めていく他の2チームとは異なる歩みで、でもそれを決して手放そうとはしない頑固さで、チームの議論はゆっくりと進んでいった。そして「自己責任になりがちな社会で、福祉がみんなのものだと思えるために、この冊子をどう使えばいいか?」というところまで辿り着いたところで、2日目の全行程が終了し、解散となった。

ホテルに独り、とぼとぼと帰りながら、やりきれず空を見上げる。この空が明けて数時間後、3日目の昼には最終プレゼンテーションが控えている。資料はまだできていない。結論も出ていない。どうしよう。

その日の浜松もからっ風が強く、むき出しの冬の空に星がびかびかと輝いていた。私は星座に造詣が深くないのでオリオン座くらいしか知らないが、古代より人々はこの広大な宇宙の星々を結んで、あまたの神々や動物の姿をかたどって物語を紡いできた。

この作業はまるで――星座を結んでいるようだ。

私は唐突に、そう思った。

さながら、私たちのチームがしていることは、日常に漂う「個々の福祉観」という小さな星と星をつないで、星座のように結びなおすことで、広大すぎる福祉の姿を捉えようとしているんじゃないか、と。

それはけして福祉の全貌ではないだろうし、「編集」の視点を持ち込んで踏み入っていくことはいつだって乱暴さを孕んでいるけど、結んだ星座から確実に現れてくる「なにか」がある。

その証拠に、ワークショップを終えてみて、興味深いことに気がつきつつある。「福祉とはなにか?」という果てしない問いを8名で突き詰めた3日間。締切に追われた極限状態で、その間にやや苛立つことはあっても、一度もチームの誰かが、スタンスの異なる誰かの意見を真っ向から否定する場面は見られなかった。モヤモヤを抱えながら少しずつ折り合いをつけて、じりじりと話し合いを進めていく。振り返れば、その状況自体にも「福祉」が宿っていたのではないかと思うのである。ある日のたけし文化センターの「スタンスの違う異物すら吞み込んで場所の一部として引き受ける、大らかさ」を思い出してみてほしい。

この感覚が本物なら「福祉」は、つねに折り合いをつけなくてはならないから、ちょっと苦しい。しかし、どんな人物でもそこにいることを否定されないことは、自分がそこにいるうえでも、きっと重要だ。メンバーの一人がぽつりと「私はあまり意見を言うのが得意なほうじゃないけど、『聞き役の人がいて助かる』と言ってもらえて嬉しかった」と語っていたのが印象に残っている。

かくしてワークショップに参加した私の福祉観は、こうした経験とともに刷新されている。広大すぎる福祉を追って、夢中で当事者と第三者の感覚を行き来しながら、福祉の星座を結ぼうとするとき、すでに私は福祉のなかにいたのだから、不思議なものだ。

現在、絶賛作成中の冊子の名前は、そこからとって『福祉の星座』になった。内容は、ワークショップの講師を務められた久保田翠さん、小松理虔さん、影山裕樹さんによる鼎談と、先程一部を紹介したチームメンバーによる福祉に関するアンケートが収録される予定になっている。見掛けたらぜひ冊子を開いて、一緒に福祉の星座をなぞってみてほしい。そのとき、あなたのなかに宿った福祉のことを、またほかの誰かと語りあうことで、次なる福祉の星座が生まれていくことを祈っている。


遠藤ジョバンニ(えんどう じょばんに)

1991年生まれ、ライター。大学卒業後、社会福祉法人で支援員として勤務。その後、編集プロダクションのライター・業界新聞記者(農業)・企業広報職を経てフリーランスへ。好きな言葉は「いい塩梅」、最近気になっているテーマは「農福連携」。埼玉県在住。知的障害のある弟とともに育った「きょうだい児」でもある。

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