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日常の音
言葉を意思疎通の船として使わない、もしくは使えないとき、思いは身体的な動きや直接的な感情で現されたりしているように思います。あなたの心情へと思いを巡るとき、必要なものは言葉だけではないものと知りながらも言葉に期待してしまう気持ちを抑え、何が在るかなと目を凝らしたり耳を立てたりします。
障害福祉サービス事業所アルス・ノヴァに勤めながら痛快に思えるのは、ここに居合わせた各個人の見解に期待をかけて生活が営まれている前提は勿論、各々から相手の見解に手を伸ばし続けていることだと思います。スタッフの僕は利用者と向き合い、心情を知りたいと思い、あなたの思いの中に在るものが何なのかに関心を持ちます。
アルス・ノヴァでは音がよく鳴っています。誰かが一人没頭して音の中に入っていたり、誰かと誰かが楽器を鳴らして競うように感情が立ち上がっていたり、僕はその状況を楽しく思うと共にその時間を守りたいとも思います。守りたいと思うのは、その人が言葉を用いて表さずともすでに注がれている視点がその場その場に表れているのでは、と期待しているからです。
再生音を好みのゆっくりしたスピードに変えて再生する彼は、窓辺で揺らす自分の身体と刻まれる音の拍に眼差しを向けているのかもしれない。
石や小さな玩具をタッパーケースで幾度となく打ち鳴らしている彼は、連続した音の向こうで人知れず何かを感じているのかもしれない。それはどんなものだろう。
決まった時間に好みの言葉を叫びながら身体を弾ませる彼は、言葉としてではなく音として好んで発しているのかもしれない。腹から抜けた音と共に浮遊した身体はどうなっているのだろう。
ベースギターをアンプに指しボリュームを一杯に回して音を鳴らす彼は、共に楽器を鳴らすスタッフの表情を追っている。どんな音を鳴らしているかよりもスタッフを振り向かせ注目されたいだけなのではないだろうか。
音を鳴らす、というきっかけを通してその人が大事にしている核のようなものが見え隠れすることがあるのではと期待し「あなたは今、何を思うか?」と想像する。それは音を鳴らすことに限ったことではなく、散歩をしているときや食事をしているとき、靴を履くときなどにも表れているかもしれません。私が音に注目するのは単に私が音に関心があるから拾っているのではないか、そう思います。ただ、目の前の人が好きなり嫌いなり思う事がフッと見えたとき、
私は「あ、わかる…」としみじみ思うのです。
認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ
障害福祉サービス事業所アルス・ノヴァ
佐藤啓太
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