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太田とササキの交換日記

すっかり忘れていた過去のことが、思いもよらないタイミングで目の前に現れる。

ある朝のことだった。アルス・ノヴァに着いて、いつものようにその日の予定や迎車表を確認していたら、フロアを掃除していた星野さんが怪訝な顔をしてぼくにこう尋ねた。

「これって、ササキさんのですか?」

そうして手渡された、一冊の薄いノート。それがこの「ササキと太田の交換日記」だ。

太田くんの魅力をここで語り尽くすことは今はしないでおこう。たまらなくご機嫌な笑み、不快をアピールするへの字の口、どこかやんごとなさを感じさせる眼差し、指先でお腹で周囲の環境に触れ味わう、そんな彼の刻々と変化する表情や振る舞いに惹かれていたぼくは、いつの頃からか、たまらない親愛の情を彼に対して抱くようになった。そんな恋愛感情から生まれたのがこのノートだ。

というのは、嘘だ。(半分、本当かもしれないが。)

ところで、太田くんとはいわゆる「言葉」でのコミュニケーションは難しい。難聴もあって新幹線が通過するのを高架下で聞くくらいの音量でないと聞こえないと言われている。けれど、太田くんからはいろんな「言語」を感じることができる。かなりはっきりと。それは彼が目線や指差しやその表情で、自分の「したい」を伝えてくれるからだろう。彼の仕種を真似してみたり、触れたり、そうして彼とのやりとりを楽しんでいる。

さて、交換日記の話。たまたま置いてあった使いさしのノートをみて気が乗って、いつもとは違った太田くんとの関わりを試してみたくなったのだ。ぼくが書いて、彼に渡して書いてもらう。太田くんは、眉間にしわを寄せながら、なんともお義理でという具合に、いつもの模様を書いてくれたのだっけ。

あっという間に飽きて、そのまま忘れてしまったノート。それがいま、再びぼくの手元にある。

現場にはこんな、なににもならない、ありのままの、トライがきっと今日もある。

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