ツアー参加者の感想 vol.02 - 特定非営利法人 クリエイティブサポートレッツ
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ツアー参加者の感想 vol.02

ツアー参加者の感想 vol.02

第2回参加者Wさんより


1. まえがき

 ちょうど二年前に初めてアルスノヴァを訪れた私が、今回の観光ツアーに参加された方々の様子の変化や、再訪によって分かった私自身の変化をこのレポートに記そうと思う。

 最初に、参加者とともに4日間過ごした私自身から見た、彼らの様子の変化を、いくつかの例を出しながら紹介していく。またそれに伴って、彼らの変化を大きく三つのステージに分けて考えようと思う。

 二年前の自身の経験も踏まえて、今回参加された方々は、「戸惑い」「自由」「モヤモヤ」という三つのステージを繰り返し体験されたのではなかろうか。

2. 観察記録

ここでは、上記のステージ分けを踏まえて、参加者の様子、及びそれに対する私の感想を記録する。(文の最後に日にちと参加者の名前を記載)

また、三つのステージのそれぞれの内容は、

①戸惑い=アルスノヴァという未知なる世界に対して戸惑う

②自由=アルスノヴァの自由さに対して心地よく感じる

③モヤモヤ=自由である心地よさの裏側を察知して、モヤモヤする

と定義しておく。

2-1 戸惑い編

・初日の佐藤さんの観光ソングパフォーマンスのあとに、参加者から「以前こちらに来たとき、最初どんな感じで過ごしていましたか?」と聞かれ、「いまみたいにどうすればいいのかよく分からなかったですね。それ(過ごし方)もみなさんの自由です。」と答えた。ちなみにこれが参加者全体から自分に対する最初で最後の質問となった。(初日・新本さん)

・りょうがくんから「カラオケ」の文字をねだられた際、参加者がマイクの絵を描いてカラオケを表現すると、りょうがくんは他の人に文字をねだりに行った。りょうがくんのやってほしいことが分かっている側からすると、絵で表現するのが斬新だったのと、それをあくまで受け入れないりょうがくんが印象的だった。りょうが君のことをあまり知らないからこそ、参加者はイラストで応答したし、それに対してのりょうが君の反応が見れたということで、知らない者同士がぶつかると起こる化学反応を見た。(初日・新本さん)

・土屋くんとボール遊びをしていた参加者は、土屋君の激しい動きに少し動揺していた。児童の利用者が予想以上に活発だったらしく、少し疲れましたと発言されていた。またこの参加者は、ときおりぼーっと利用者を眺めていることがあって、アルスノヴァという未知なる世界に対する戸惑いが端から見ていても感じ取れた。(初日・溝田さん)

・ある参加者は、児童の利用者が独自の世界を作っていると感じ、彼らを尊重しようと無理に接しようとはしなかったという。まだ利用者との距離感をつかみかねている様子がうかがえた。(初日・木下さん)

2-1.5 「戸惑い」と「自由」の狭間で

・初日の振り返り前に、参加者とスタッフ数名でまいちゃんと音が鳴る机を叩いて遊ぶ。まいちゃんの気分が乗ってきて、スタッフ(佐々木さん・高林さん)は大いに盛り上がる。突発的に始まった机叩きによって、参加者はアルスノヴァの自由さを改めて体感する。(初日・新本さん、高橋さん)

・初日・二日目と、3階の児童のスペースではハンモックに寄りかかる参加者が続出。みなさん一様に、気持ちいいと感想を述べていた。あのハンモックは、参加者がアルスノヴァで自由に過ごすための一つの取っ掛かりとして機能していたように思う。「自由さ」を参加者が分かりやすく享受できる装置だった。ハンモックによって、「戸惑い」から「自由」へ移行した参加者も多くいたのではないかと感じた。(初日、二日目・参加者全体)

2-2 自由編

・二日目の運動会にて。ある参加者は終始カメラを撮っていた。特に足立君が50m走で一位になった瞬間を撮れたことに興奮していた。参加者それぞれの運動会の楽しみ方があるということが分かる一例である。(二日目・木下さん)

・運動会にて、さとみちゃんのテンションの上がり下がりが続く。彼女が綱引きで負けてひどく落ち込んでいるところを見て、何人かの参加者は心を動かされたよう。この日のヒトマトにも、素直に感情を表現することはむしろ自然なことで、自分たち(参加者)もそうして良いのではないか、という意見がちらほら見られた。(二日目・参加者数名)

・運動会は、利用者さん方が競技に参加するのを応援するよりも、ブルーシートの上での待機時間の方が長かった。そこでツアー参加者はそれぞれ、さとみちゃんや川ちゃんなどと交流していた。ある参加者は、さとみちゃんがくすぐられると喜ぶことを発見して、二人して戯れていた。また、女性の参加者は川ちゃんからの絡みに対してちゃんと反応していたが、この間に川ちゃんの女性に対する過度な接し方を知ったよう。このように参加者が思い思いに利用者さんとの関係を深め、彼らの特性を知る時間となった。(二日目・たけまりさん等)

・初日に戸惑いの表情が見て取れた参加者は、1日経ってアルスノヴァの自由な雰囲気に慣れて、ヒトマトでも自分の好きなように書いているように見えた。参加者も自由にしていていいという認識が、二日目の振り返りの時点では外に現れていた。(二日目・溝田さん)

・3階では参加者が、岸くん?のチラシ破りを一緒にやっていた。「これ気持ちよくない?」と言いながら、普段することのないチラシ破りを素直に楽しんでいた。(三日目・たけまりさん)

・三日目の公民館での絵画教室では、大きな葉っぱの絵を描く。参加した5人のうち2人は葉っぱとは関係のない絵を描いていた。この頃には参加者さんはすっかりこのツアーの雰囲気にも慣れ、それぞれやりたいようにやることを意識せずにやっていたように見えた。(三日目・参加者全体)

・三日目のヒトマトは、文章だけでなくイラストが多く描かれ、それまでのヒトマトに比べると、遊びの要素がぐっと増えた。(三日目・溝田さん、小笠原さん)

2-2.5 「自由」と「モヤモヤ」の狭間で

・二日目のヒトマトは、利用者が自由に振る舞う様子を肯定する内容が多かった。これはアルスノヴァの雰囲気・自由さを肯定しているとも取れる。反面、川ちゃんの女性に対する振る舞いを全肯定は出来ないというコメントもあり、いくら利用者が自由に振る舞うことを尊重するといっても線引きは必要であるという認識が、参加者のなかで表面化した。(二日目・参加者全体)

・三日目のおが台車。1回の踊り場で台車に乗っける家電を運ぶ際、ストーブを持ってきたおがちゃんの足元には大量の液体が。なんと灯油が漏れていた。これには正直引いた、めっちゃ笑ったけど。この件で水越さんが笑いながら、「おがちゃん、これは100%アウト」とおがちゃんをたしなめていたのも、水越さんには想定内の出来事だったと見受けられて良く覚えている。ちなみにその後2階から下りてきたNHKクルーの音声の女性は、灯油が漏れているのを見てかなり笑っていた。あのとき、あの女性の人間的な反応を初めて見た。人間、想定外の出来事が起こると、仕事や立場など、自分を纏っていたよろいが消え、素の自分が顕わになるものなのかと思った。そんな体験が何度も出来るのも、アルスノヴァ体験の「売り」であると感じた。

その後ヒトマトで、木下さんがおがちゃんの灯油漏れについて書くと、溝田さん、小笠原さんの両者から、「それは危ない」という反応が返ってきていた。自由の危うさを参加者が感じる一つのきっかけになったのではないだろうか。(三日目・一部参加者)

2-3 モヤモヤ編

・2階にて、おがちゃんが演歌を披露。ツアー参加者全員がその場にいて盛り上がった。しかし、一曲歌ったら終わりの約束のはずが、音源を再度再生しようとするおがちゃんに対して、マッスルさんが叱る。叱り叱られている様子を一分以上の間、参加者はずっと見ていて、張りつめた空気を感じていた。ツアーの中で最もしんとした瞬間だった。その後の振り返りで何人かが、叱るのも度が過ぎると気分が良くないというようなことを書いていた。おがちゃんが欲望のままに演歌を披露しようとしていて、それをマッスルさんが許容していたあとでの叱りタイムだったために、急激に現場の温度が下がった。ここにアルスノヴァの一つの側面を見て取れた。「自由」が成り立つ上での「規制」。一見すると利用者にやりたいことをやってもらう自由度の高さが良く映るが、それを成り立たせているのは、スタッフさんの利用者に対する規制であった。超えてはいけないラインはしっかりと線引きする瞬間を見たツアー参加者は、アルスノヴァに対してまた違った印象を持ったのではないだろうか。(二日目・参加者全体)

・三日目の朝、ある参加者と食卓で話す。たけしくんのことも、アルスノヴァでは「普通

」に見えると話していた。たけしくんが普通に見えるのは、それほどアルスノヴァが「普通」の領域を大きく捉えているということ。それはそれぞれの自由を尊重しているということでもあるけど、やはり最低ラインの規制が必要で、そこはその都度考えなければならず、その考える行為自体が大変なことなのだろうと話していた。自由を支える責任の面を参加者は考えていた。(三日目・新本さん)

・最終日のお昼。「飛行場」にての会話。溝田さんは、利用者が自由に過ごしている裏には、利用者の排泄補助などをスタッフがしているという事実に、モヤモヤを感じたそう。また新本さんは、アルスノヴァに対して、言葉として定義してはいけないような、しない方が逆に定義できるような、モヤモヤ感を抱いたそう。両者とも、アルスノヴァの一面的に捉えることのできない、混沌とした実態を捉え、モヤモヤを抱えたようであった。(最終日・溝田さん、新本さん)

2-4 番外編(どこにも当てはまらないエピソード)

・三日目の銭湯語りのヴぁ。女性陣はがっつりと話していたそう、主に夏目さんと暎ちゃんが話していたそうだが。男性陣はぽつぽつと話している人がいる感じ、というか竹内さんが新本さんやおじいさんと話していた。

→女性陣的には銭湯語りのヴぁは成功だったようだが、男性陣は一部のみといった感じだった。それでもこの企画自体、みんなでがっつり話すことを目的としていたわけではなさそうなので、話したい人は話す、そうでない人は話さなくていいという、あくまで参加自由のゆるさがここにも反映されていたように思う。(三日目・参加者全員)

・銭湯語りのヴぁの後、ゲストハウスにて参加者全員でおにぎり作り。参加者だけの共同作業は初。三日目の夜とあって、みな和気あいあいと楽しんでいた。それに加え、それまでのツアーではそれぞれが好きなように過ごすことが念頭にあったが、このおにぎり作りでは、全員が同じ方向を向いての作業で、目的もはっきりしていたので(翌日の朝食用のおにぎり作り)、ある種の安心感が全体に広がっていたように思う。何か決められたことを全員でやるというのが、このツアーにおいては逆に新鮮な行為だった。(三日目・参加者全員)

・最終日の公民館。一部の参加者が「音戯の部屋」に参加。「音戯の部屋」は、当初の最終日の趣旨(公民館で好きなように過ごす)からは離れていたため、参加者と遠藤さんの間には少しぎこちない空気が流れた。曲を一曲作るというのを知らずに参加したため、遠藤さんの「詞を作りたい人!」という呼びかけに誰も反応しなかった。ツアーの中での一貫した「自由さ」に参加者が馴染んだのか、この企画の強制性が浮かび上がった。(遠藤さんには申し訳ないことをした・・・。)

→結局、最終日の公民館は、各自がやりたいことを持ち寄って自由に過ごすということからは外れた感覚があった。(最終日・参加者一部)

3.
四日間の総括

・参加者から、利用者の自由な振る舞いを肯定的に捉える感想をよく聞いたが、参加者自身の行動は、好きなように過ごす、とまでは言えないものだった気がする。日を重ねるごとにグループという枠が出来上がって、なんとなくみんなと一緒に行動する、というのが行動のベースとなっていった。(それはそれでいいと思うが、窮屈に感じていた人はいなかっただろうか。自分は一人になりたいときが何度かあった)

また自由参加の企画が何個かあったが、大体においてみんな参加していた。自由参加にしておいても、自分で参加するのかを決めるのではなく、周りに合わせて参加するか決める、というのが参加者の中での実態だった。(木下さんは除く)

・二年前に自分が参加した合宿と比べると、参加者の人数が多く、参加者同士がかたまるシーンがよくあった。アルスノヴァという現実離れした異空間にいながら、参加者が集まって現実空間が出来上がっているのは、ちょっともったいないかなと思った。異国を旅するのも同じだけれど、人数は多くいるより、少なく、出来れば一人でいた方が、より深いものを感じ取れるはずだ。そういった意味で、一人でアルスノヴァを体験する機会が少し減ったような気がした。

→久保田さんの言っていた、「あなた」と「わたし」の関係性という観点からも、その一対一の関係性が作られる機会がもっと多くあったほうが良かったかもしれない。ただ、ツアーなので、ある程度団体行動になっても仕方がないとは思う。

※ここまで、団体行動を強調して書いたが、実際に参加者が利用者と関わる局面では一対一の関係が成立していたので、団体行動が目立ったのは、参加者と利用者が関わる機会がツアーの中で少なかったことが原因にあるとも言える。

・上記の二つは、どちらも参加者の団体行動において言及したが、時間が経って考え直すと、それも含めての「ツアー」なのではないかと思った。アルスノヴァにいる利用者さんとスタッフの方々が、何をしてもいいという自由な雰囲気を作り出している状況で、参加者の団体行動が目立ったのはある意味当然のことである。だって普段の生活で人が集まったら自然と団体行動になるのだから。そしてそこに違和感を覚えるのも、アルスノヴァという特殊な空間にいるからだ。日常生活におけるなんでもない行為が、アルスノヴァにいると意識に上がってくるというのが、「問い」が見つかることそのものなのだろう。ここに書いたのは、あくまで個人的な感想で、実際に他の参加者の方々が自由な行動や団体行動について意識していたかどうかは分からない。ただ自分自身は、「アルスノヴァでは好きなように過ごす」という先入観、さらに言えば「好きなように過ごす」=「単独行動」というバイアスがかかっていたために、このような感想を持つに至った。極論、人と居たければ居ればいいし、一人になりたければなればいいのだろう。「自由であること」とはどういうことなのか。それを自分はすごく意識したし、他の参加者も考えることがあったのではないだろうか。

4. 自分の感想

・二年前は、利用者の方々の、やりたいことを素直に行動に移している姿を見て、ただ「うらやましい」と思っていたが、自分が実際にこの1年半あまり、自由度の高い生活をした上でもう一度アルスノヴァを覗くと、その自由さの裏にある危うさが目に付くようになった。たとえばおがちゃんがストーブから灯油を漏らしても平気なのは、そこに水越さんがいるからなのだ。おがちゃんの自由が担保されているのは、水越さんがその都度責任を取っているから。それに限らず今回は、二年前に訪れたときと比べると、スタッフの方々の利用者さんへのサポートがよく目についた。そして自分は、二年前、自分自身の「心の底からやりたいと思うことがあるのではないか」という願望を、利用者さんに映し出していただけであったということにも気づかされた。あのとき、自分は「自由」のポジティブな側面しか見ていなかったのだ。「自由」と「責任」はセット、というありきたりな言葉が、今回のツアーで自分に重くのしかかってきた。

・ガイドの役割として、「好きなように過ごす」「参加者からの質問に答える」「レポートを書く」ということだけ言われていたので、自由度が高い分、自分はガイドとしてどうすべきなのか、何をしたらいいのかを考える局面が多々あった。そしてうまく考えがまとまらず、結果的にガイドとして特に何をするわけでもない自分に不甲斐なさも感じた。今回のツアーで強く感じたのは、「自由」を肯定するには「自主性」が必要であるということで、自主性がないと、自由であることはただの苦しみと化してしまうということを身をもって体感した。

・最後に、このツアーにおけるガイドの意義、またはその必要性についても言及する。ツアーが始まる前に認識していたガイドの役割としては、①参加者の見本となるように、好きなように過ごす、②参加者からの質問に答える、③ツアー全体のレポートを書く、ということだった。①に関しては、ただその場にいるという点においてクリアしていたと思う。ただ、レポートを書くために周りの参加者の様子などを観察したり話しかけたりしていたため、本当に好きなように過ごしていたわけではなかった。②は参加者からの質問がほとんど無かったために、役割を果たしたとは言いづらい。③に関しては、このレポートがレッツ側にどれだけ意味があったかということにかかっている。最終日に久保田さんから、「スタッフがいないところで何が起こっていたのかを教えてほしい」と言われたが、正直なところ、スタッフのいないところ(ゲストハウス等)で特筆すべき何かが起こっていたとは、自分には思えなかった。この点に関しては暎ちゃんの方が察知していたことが多いかもしれない。

とにかく私が観察記録としてレポートできるのは、上に書いた内容のみです。私がツアー全体を通して参加者と共に行動して感じたことは、みなさん一様に、アルスノヴァという未知なる世界に戸惑い、そこで自由を体感し、慣れたころに「ただ楽しい」では片づけられない何かを察知してモヤモヤしたのではないかということ。そしてそのモヤモヤには、「自由」と「責任」、または「自由」と「規制」という、人間誰しも生活する上で考えずにはいられないような、人生の「問い」だったのではないかと思います。