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参ったなー! レッツの10時間滞在

text : 佐藤 麻衣子

昨年の秋、友人のあっちゃん(ノンフィクション作家の川内有緒)から、作家仲間の小松理虔さんが「認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ(以下、レッツ)」に深く関わっていて、取材に誘われていると聞いた。

障害のある人を対象にした仕事を少ししている自分にとって、レッツは「聖地」のような場所。「私も同行したい!」と伝えたところ、「文章が寄稿できれば、交通費は捻出してもらえるらしいよー」と願ったり叶ったりのニュースが舞い込んだ。レッツへの訪問を今かいまかと心待ちにしていた。

私は茨城県水戸市にある、水戸芸術館現代美術センターという美術館で働いている。主な仕事は展覧会の会期中に行われるプログラムの企画・運営をすること。さまざまな人に展覧会に足を運んでもらうため、ワークショップや鑑賞プログラムを行なっている。

さまざまな人、には障害のある人も含まれる。障害のあるお子さんの家族から話を聞くと「作品を触ってしまうのではないのか」「展示室で大きな声を出してしまうのではないか」と、美術館に来るには高いハードルがあるという。

美術館は障害のあるなしに関わらず、どんな人でも来られて、話したり、考えたり、自ら学んだりできる場所だと考えている。ということで、障害のある人でも安心して美術館を楽しんでもらえるよう、年に1回、障害のあるお子さんと家族が参加できるワークショップを企画している。

他にも、障害のある人の作品を展示する美術館や施設に時々調査に行ったり、プライベートでも視覚障害者の友人がいたりする。そんな経験から、レッツに行っても利用者さんの面白い一面をたくさん発見できるだろうなぁ、楽しみだなぁと、ひょいひょいと水戸をあとにした。

レッツにゴー

東海道新幹線の中で、小松さんが書いたレッツのレポート「表現未満、の旅」を読む。小松さんがレッツの利用者さんと過ごす、みずみずしい(生々しい?)体験。月に1-2度の訪問で築いている関係性を「羨ましいなぁ」と感じながらも、私には自信があった。利用者さんと一緒に楽しく過ごせることに。

しかし、速攻出鼻をくじかれるとは…まったく想像していなかった。

浜松駅で小松さんとあっちゃんと落ち合い、たけし文化センター連雀町(レッツが運営する障害者施設。以下、たけぶん)まで歩く。特別支援学校や障害者施設は街の中心地ではなく、郊外にある場合が多い。新幹線が止まるターミナル駅から歩けるだけで、画期的な障害者施設である。

それぞれが、いたいように過ごす空間

10分くらい歩くと、カラフルでいろいろな形の吹き出しが描かれた、たけぶんのビルの側面が見えてきた。

案内されるまま中に入り、全体を見渡した瞬間、あぜんとしてしまう。

「カオス」という言葉以外、何も出てこない。誰がスタッフなのか利用者さんなのか分からない。スタッフが分からないので、旅行カバンをどこに置いて良いのかも、手土産を誰に渡して良いのかも尋ねようがない。

とりあえず、ランチを食べに外へ出る。串揚げ屋で串カツをほおばりながら、小松さんからレッツの話をたくさん聞く。自分が独学で見聞きしてきた障害のことと小松さんの実体験が結びつくので、会話が面白い。

たけぶんで感じた戸惑いを一瞬忘れた。

レッツゴーアゲイン

たけぶんに戻ると、さっきのカオス状態から何の変化はない。引き続きカオスだ。

「好きにしてよいですよ」とスタッフの水越さんから言われ、どうしたらよいかわからず、あっちゃんとたたずむ。

あとから知ったのだが、友人の美術家、中崎透はたけぶんに初めて足を踏み入れた時「好きにしていていい」と言われたので、そのままコタツで寝てしまったらしい。やっぱりアイツはツワモノだ。中崎くんと違って小心者の私は「記事を書いたら交通費…」という強迫観念から、何か面白いことがないかキョロキョロする。

カワちゃんと筆者

少しすると利用者のカワちゃんに話しかけられた。

ジュビロ磐田の試合に行った話、おばあちゃんの話、どこかへ家族で泊まりに行った話。話題が交錯し、急に飛ぶのでポイントをつかもうと脳内整理を頑張る。手に持っている午後の紅茶のペットボトルは、おばあちゃんがくれたことは分かった。話題があっちこっちへ逸れてついていけなくなったら「その紅茶はおばあちゃんからもらったの?」と聞くと、うなずく。何度聞いても、毎回ニコニコとうなずいてくれる。(ちなみに、あとから聞くとカワちゃんが話すのは女性限定らしい。)

カワちゃんの話が収束される気配がないので、頭では別のことを考え始めてしまった。なんだか自分が自分でない気がして、のどに小骨が刺さったかのように落ち着かない。しかし小骨の正体は分からず、落ち着きを取り戻すためにカワちゃんの話を無理やり切り上げ(カワちゃん、ごめんネ!)、全体を一歩引いて見渡す。

男性が座るキャスター付きの事務椅子が、風を切りながらあちこち動きまわる。他の利用者さんとスタッフ20人くらいは不思議と衝突をせず、それぞれの時を過ごしている。当初は私より戸惑っていた(はずの)あっちゃんは、取材ノートを片手に興味深そうに女性の利用者さんにインタビューしている。小松さんは即興ダンスをするかのように、利用者さんの体の動きに合わせて一緒に動いている。スタッフと思しき人たちは、パソコンを共有テーブルに広げて仕事をしたり、掃除をしたりしている。

取材中のあっちゃん

私はどうしたらよいの?どう振る舞えばよいの? 一応取材なんですけどぉぉぉ? 誰も答えを言ってくれない。

ただただ呆然とする。なんなんだこの場所は!!

戸惑いの問い

カワちゃんと話していた時に覚えた違和感は何だったんだろう。水戸に戻り冷静になって考えた。

たけぶんにいる人たちがあまりにも自由に過ごしていたので、それが発端となり、波のようにいくつもの感情が自分に押し寄せてきたのだ。

ひとつずつ振り返ってみよう。

感情1 利用者さんそれぞれが自由に過ごす感じに圧倒され、なかなか受け入れられない。(今まで見学に行った障害者施設はもっと整然としていた。それぞれの仕事に集中していて、持ち場を動く人があまりいなかった)

感情2 取材のため面白い人や話題を探さなければいけない焦燥感。

感情3 感情2をどこにぶつけたら良いのか分からない焦燥感その2。

感情4 かみ合っていない会話から、コミュニケーションの仕方がなんか違うんじゃないかなという疑念。

感情5 感情4のとき、自分のキャパシティを大きく見せるために取り繕っていることに気づく。

文字にしてみると、これらの感情は健常者という立場から来たものだと分かり、ハッとする。

障害者も自由に過ごせる権利があるし、面白い人や話題を探すのは健常者の視点だ。あの違和感は自分の中にある分断の芽を認識した瞬間だったのだ。私には差別しようとする気持ちはないし、健常者と障害者の関係に捉われずに接せられる思っていたけど、いまだに障害者と健常者に分けてしまう自分がいた。

リョウガくんと筆者

観光すること

レッツには「タイムトラベル100時間ツアー」というプログラムがある。( https://100htour.net

ツアーといっても用意されたプログラムはなく、レッツで自由に過ごして出会いを体感する。時間は100時間。一度に100時間滞在しなくても、再度来てトータルで100時間過ごしてもよい。

私たちはこのツアーに参加したわけではなかったけど、プログラムもなくレッツをありのまま体感し、たけぶん3階のゲストハウスにも泊まったので、ツアーの参加者と経験する内容はほとんど一緒だったと思う。手放しで放り込まれ、10時間自由に過ごしてみて、自分が出向かなければ見えてこないものがあると気づく。

自分が環境を用意して来てもらうのと、レッツに出向くのとでは、社員旅行と個人旅行くらい違う。私が企画していたワークショップは、障害のある人たちに美術館まで来てもらっていた。「どうぞーウェルカムですよー」と手を広げて待っていたが、来てくれた家族のなかには美術館に来るまでいくつかアクシデントがあったのかもしれない。

みんなで散歩へ

夕方、利用者のたけしくんとカワちゃんと一緒に街中へ散歩に出て、ショッピングセンターの中のトイザらスへ行く。

店員さんや街の人は私たちをどう見ているんだろう? 自分が出向いて一緒に過ごしてみて、色んな角度から見えてくるものがあった。分断する自分を肯定するつもりはまったくないのだけど…。

それぞれがそれぞれに存在するのが良い

これは知人の小学校教員の言葉。

普通校で障害のある子と接する時間は、おおごとになってしまうそうだ。特別支援学校と交流するときは、障害児1人に対し児童が複数人(10人以上のときもあるそう)付くのが大半であり、(健常者が障害者を)助ける/(障害者は健常者に)助けられる関係性になってしまう。役割が固定されて個人が個人として出会えていない! と知人は嘆いていた。

特別支援学校に通う子どもたちの割合は義務教育段階の全児童の約4.2%(2017年5月1日現在)。『令和元年 障害者白書』(内閣府発行)より*なので、このような組み合わせは当然ではあるけど、100時間ツアーのような形だったら障害者と健常者の固定された関係性からは解放されるのではないかと思う。

たけぶんには小学生も時々見学に訪れる。(『色々な人たち』の中にぼくもいる」 http://cslets.net/miman/archives/695

一度に30人くらいの子どもたちが来館し、1階や2階で自由に過ごす。見学といっても制約は何もない。楽器を弾いても絵を描いても何もしなくても良い。利用者さんと交流してもしなくても良い。ミッションはひとつだけ。「これ見たボックス」と「これやったボックス」に投稿する。たけぶんで見たこと、やったことを書いてボックスに入れるのだ。

「これ見た‼︎!ボックス」と「これやった!ボックス」

こんなツアーが小学生のうちから体験できたら、助ける/助けられる関係では気づけないことをたくさん発見できるんじゃないかなぁ。

参ったなー!

2日目は、たけぶんから車で15分ほど行った入野町にある「のヴぁ公民館」に行く。

気持ちよく晴れた日だったので、利用者のオガちゃん、スタッフの尾張さん、小松さんとあっちゃんで近くの佐鳴湖まで散歩をした。

オガちゃんとの散歩

オガちゃんのことは小松さんが詳しく書いているので、ここでは簡単に触れるけど、オガちゃんは急に固まってしまう。この固まりは、電化製品へのハンパない愛からやって来る。向かう先にコンビニやドラッグストアがあると気づいたら、大好きなCDーRや電池が売っている!! と頭がいっぱいになってしまう。そこに行けないと分かったら、行きたい気持ちとで引き裂かれ、フリーズしたパソコンのようになってしまうのだ。(ちなみに、どんな言葉をかけると固まりが溶けるかは解明されていない。)

オガちゃんは小松さんのデジタルカメラを肩に掛け、歩道の桜や湖の風景を楽しそうに撮影しながら歩いていたのだけど、道端で急に止まってしまった。この先に杏林堂薬局があるからだ。30分くらい声をかけ続けただろうか。何かの拍子に、炎天下の砂漠に氷を置いたかのように固まりが一瞬にして溶け、ご機嫌に歩きだす。歩きながらゲップし始める。小松さんがゲップの応酬をする。オガちゃんはゲップの合間に「参ったなー!」と笑いながら言う。

カメラのバッテリーが切れたときも「参ったなー」と笑うオガちゃん

オガちゃんの「参ったなー!」をくりかえし聞きながら、レッツでの出来事はほんと「参ったなー!」とふりかえる。

自分の奥底にある分断のかたまりに気づき、わずかにやわらかくなった。

オガちゃんが「参ったなー!」と言う時、とってもニコニコしている。「参ったなー!」と言いながら、当のおがちゃんは全然参っている感じがしない。

あっ、でもこれって理想かも。

残り90時間の滞在で、私にもいろんな変化が訪れるのだろうか。次回また試してみようじゃないか、参ってみようじゃないか。

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