〈トークまとめ〉第2回 ゲスト:松村圭一郎さん [ひとインれじでんす2024] - 特定非営利法人 クリエイティブサポートレッツ
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〈トークまとめ〉第2回 ゲスト:松村圭一郎さん [ひとインれじでんす2024]

〈トークまとめ〉第2回 ゲスト:松村圭一郎さん [ひとインれじでんす2024]

夏目 今年レッツが実施している「生きのびるためのエクササイズ」というプログラムの枠で松村さんをお招きしています。私たちは、様々な困難や苦しい状況に遭遇したときに、ファイトの姿勢ではない形で立ち向かえないかということを昔からやってきたので、今回、その参考になりそうな方のお話を伺ったり、自分の居場所や人との繋がりを作っていく活動をしたりしています。「生きのびるためのエクササイズ」の中の「「見えかた」をふやすエクササイズ」では、いろいろな研究者やアーティストに来て滞在していただいて、その方の見え方で考えていただいたりスタッフと話していただいたりしています。「生きのびるためのエクササイズ」には「生きること、暮らすこと、過ごすこと、出会うこと」というサブタイトルがありまして、これをキーワードに私たちはプログラムを実施しています。そういう意味では、主にエチオピアをフィールドに、人間の様々な「生きる」現場に立ち合って、暮らしを見つめてきた松村さんにいろいろなお話を伺えるのではないかと思ってお呼びしました。今日は「人類学から見る家族の形 〜カテゴリーを溶かすために〜」というテーマで、まずは「家族」というところからお話を伺えたらと思います。よろしくお願いします。

 

◼︎人類学ー想定していなかった生き方に気づく

松村 はい。よろしくお願いします。人類学ってどういう学問かとよく聞かれるんですが、「生きることを考える学問だ」とティム・インゴルドという人類学者がズバッと言っています。「どう生きるかを考えることが人間を人間にする」という書き方をしています。それを考えることを宿命づけられている存在が人間なのだと。それをどう考えるかというときに人類学が手がかりにしたのが、馴染みのある身近な人だけではなくて、知らない生き方をしている人たち。その人たちの生き方を教えてもらって、自分が想定していた選択肢に収まらない生き方もあることに気づくことから考えていくのが人類学のスタンスなんですね。

 

◼︎フィールドワークのはじまり

松村 そこで私が触れてきたのが、エチオピアの南西部にあるジンマ県というコーヒーの原産地として知られているところです。私は最初、コーヒーの調査するつもりでその村に行ったんですけど、コーヒーのことはあんまり面白くなくて、村の方で調査を始めました。

 

◼︎子どもを育てるのは親だけではない

松村 村で生活しながらいろんなことを研究していくのが人類学なので、当然いろんなものが目に入って来ます。今、生後数ヶ月の赤ちゃんの写真を見ていただいていますが、この赤ちゃんが家の居間に一人ポンと置かれているんです。母親は何をしているかというと、ご飯作りや洗濯などで忙しくしているんですね。これ、どうするのかなと思っていたら、近くでサッカーをしていた従兄弟のお兄ちゃんが入ってきて赤ちゃんを眺めている。でも飽きたらいなくなってしまう。そうするとその辺で世間話をしていた近所のおばさんがやってきて、その赤ちゃんをあやしたりする。お母さんは時々帰ってきてお乳だけあげて、またポンって置く。「そうか、子育てって別にお母さんだけでやってるわけではないんだな」と思ったんですね。それに、私もそこにいるので、誰もいなくなったら私の番です(笑)。家と家の間は一応区切られてはいるんですけど、いろんな人が敷地の中をショートカットの道として通るんです。近所の人が来て一緒に女性同士でおしゃべりをしながらコーヒーの選別をしたりもする。家の敷地の中に近所の人や通行人、親戚の人とかいろんな人がいて、赤ちゃんを置いておいても、誰か手の空いている人がちゃんとケアできる状況にある。これだったらお母さんも他のことをできるし、こういうのがないから日本のお母さんは大変なんじゃないかと気づくわけですね。誰がいつその子を見るか決まっているわけではなく、いろんな人の目で見守られて子どもが育っていく。

 

◼︎誰のもとで育つかを子ども自身が選ぶ

松村 エチオピアで家族と生活したり、家族を訪ねたりすると、子どもが一体誰の子どもなのかわからないことがよくあるんですね。子どもたちが同じ家で寝泊まりしていても兄弟ではなかったり、父親が違ったり。1930年代とか1940年代生まれの人の結婚歴を聞くと結婚と離婚を繰り返していて、その度に子どもが生まれている。子どもを母親の実家に預けて、そこにいろんな夫との子供がいることも結構あって、そういう意味で家族の構成が複雑なことがあります。

ある子がある家でずっと一緒に生活しているから、当然その家の子どもだと思っていたら、親戚の子どもだったこともよくある。どういうこと?って思うんですけど、子どもがどこで寝泊まりするかは子どもが決めていいらしい。例えば、子どもがよその家で遊んでいて日が暮れて、そのままご飯を食べてその家で寝るというのは当たり前。そのように親戚や友達の家に1日2日泊まることも普通にある。7-8歳の子どもでも、親と喧嘩したから親戚の家に行くと宣言してずっと帰らないこともある。子どもがそこで生活をしたいと言ったときに、「そこはあなたの家じゃないでしょ」と止められない。直接の血縁関係がない子どもが一緒に生活するんですね。
最初は結構驚いたんですけど、人類学的にはよくある話なんですね。ブッシュマンの研究をしている丸山淳子さんも、子どもがどこで人生を過ごすかは子どもが決めると言っています。誰が子どもを面倒見るかが決まっておらず、誰の子どもとして子どもが育っていくかも全然固定していない。それをある程度、子ども自身で決める余地がある。それは珍しいことではなくて、世界的に見ると結構いろんな地域で行われているんです。

 

◼︎子どもは父親と母親のものという常識を問う

松村 日本でも昔は、家を絶やさないために親戚の子などを養子に迎えることがよくありました。それは子どもの決定というより大人の事情が強かったと思いますが。でもそれが広く認められていたのは、そもそも子どもは生まれてくるお父さんやお母さんだけのものではなかったからです。だから、その子がいるところがその子の家族になるんですね。

有名なマリノフスキーという人類学者が1920年代に書いた本でも触れられていますけど、ニューギニアのトロブリアンド諸島では、お父さんの存在は生物学的に子どもが生まれることに何の寄与もしていないと考えられていたと言います。子どもはお母さんの血から生まれる。母系社会ですね。母親からその子どもにその家の血筋グループが引き継がれているため、母親が大事になるんです。

私たちにとって、子どもは父親と母親がその第一の責任を持つし、子どもが意思決定ができないときは両親が代わりに意思決定をする。それを常識と捉えているかもしれませんが、それはもしかしたら私たちにとっても、世界的に見ても、実はすごく例外的な捉え方かもしれない。

日本で児童虐待のケースが絶えない背景には、私たちが家族をどう認識しているのか、子どもは誰が面倒を見るべきと考えているのかという、大多数の人が抱いている「常識」が関係しているのかもしれない。つまり、虐待事件に私たちは全く加担してないわけではない気がするんですよね。もう一つは、家族の中で起こっている問題を隣近所の人が知ることができない。日本では、家族で問題が起きたら家族の中だけで処理することを求められたり、周りの人が助けてくれなかったり、周りの人がそれを知る余地もなかったりする。



◼︎問題を抱えた人のケアは制度の問題ではなく周囲の人との関係の問題

松村 私の『うしろめたさの人類学』という著書の中で触れているのですが、エチオピアの村でも時々精神を病んでしまう人がいるんですね。このアブドという少年もしばらくおかしくなって、頭にオレンジ色の紐を結んで棒を持って集落をフラフラしていた。でも家に入ってきたら「ご飯を食べていきな」と言われたりして、彼が今問題を抱えていることをみんなが分かった上でケアをしている。つまり、閉じ込められてないんですよね。近くに精神病院もないので、普通に村で生活をするんです。ある時、彼が村の一軒の家を燃やしてしまう事件があっても、誰も警察に通報するわけでもなく、「彼は今問題を抱えているから仕方ないよね」ということで、彼は普通に生活をしていく。そのあり方は日本ではやはり難しいですね。エチオピアでは自由に歩き回れることがすごいし、自由に歩き回った先で何かしら手が差し伸べられる。例え大人でも、問題を抱えていたら集落の人が何かしら気にかけている。

数年後に村にまた行って、とうもろこしの収穫作業の写真を撮っていたら、アブドがいて、回復していたんです。村の人は、それは驚くほどのことではないという様子で、誰でも時々精神を病んだり元気になったりするものだと話すんですね。人間が常にまともで健康でいられるとは思っていない。何か問題を抱えた時はみんながそれを分かって、みんなで会議や周知をするわけでもなく、当然の常識として、集落の仲間として対応していく。

日本だと家族とか何らかの施設とか専門的な機関が問題を抱えた人に対処することになっています。他の人はその人に直接手を差し伸べる機会もなければ、その問題を抱えていることすら知らないまま過ごしてしまう。エチオピアの生活を見ると、私たちが生活保護や民生委員などの制度の問題と考えてしまうものも、むしろ日頃から周囲の人とどんな関係を築くかという問題だと気づかされます。

 

◼︎エチオピアでは問題が可視化される

松村 エチオピアでは、問題が起きた時に周囲の人が関わらざるを得ない関係がある。問題を持っている側も表沙汰にするし、周りの人もそれを無視できない。『うしろめたさの人類学』では、アジスアベバという大都会の大通りの歩道に突っ立っているおばあさんの話を書いています。足が不自由なのであまり動き回れないのですが、通行人にガッと手を突き出す。いきなり手を出された若者は、最初は驚いて怪訝そうな顔をするけど、おばあさんの容貌を見ると、なんか渡さざるを得なくなって、「しょうがないなぁ」という感じでお金を少し渡すんです。このように、問題を抱えている人がこの世の中で問題があることを声に出さなくても、表沙汰にしている。堂々と「困っているから助けろ」と表明できる。周囲の人は慈善の心で助けるのではなく、見てしまったら助けざるを得ず、問題解決に巻き込まれていくんです。

 

◼︎日本では問題が内に閉ざされる

松村 日本は先進国と思われているので、問題があるとはエチオピアでなかなか理解されない。その理由の一つは、日本は豊かな国だから、豊かなものはみんなで分け合ったら、貧しい人にも最終的には行き着くと思われてしまう。でも実際は行き着かないですよね。一つは問題が内側に閉じ込められているから。もう一つは助けたいと思う人がたくさんいても、手を必要としている人の存在が周りに見当たらない。

なかでも一番、問題を見えにくくしているのが家族。「家」が外に対して閉ざされてしまっていることで、問題を抱えているのか、今どういう状況なのかが周囲には見えない。例えばいろんなセクターの役所の人員を増やしたとしても、めちゃくちゃ増やさないと、すべての家庭をモニタリングするなんて不可能ですよね。一番簡単なのは、近所の人がある程度状況を把握できる関係が日頃からできていれば、コストをかけて制度を作ったり人員を配置したり権力を使ったりする必要もないんですよね。日本でも少し前までは家は閉ざされた環境ではなくて近所の人に開かれていたけど、今はプライバシーを確保する家庭のあり方を作っている。でも、家が閉ざされることである種の心地よさを私たちは手にしたと同時に、起こっている問題に対処するための関係性を失ってしまった。そういうことをエチオピアの家族のあり方を見ていると痛感します。その背後には、家族はこういうものだという常識、父親と母親、血縁関係で結ばれた子どもで構成されるものだという見方にとらわれてきたことがあると思います。

 

◼︎人類学は「いろんな見え方」「別の生き方の可能性」を捉える

松村 そのように視野が狭まったときに、まさに「見え方をふやす」。人類学では、私たちは生きることとはどういうことかを考えるときに、いろんな見え方、家族ってこうでなくてもいいよね、多分こうでないあり方を実践している人が世界中にはたくさんいるし、私たちも別のやり方をしていたかもしれない、と考える。その中で、別の生き方の可能性を捉えていくのが人類学の視点です。

 

◼︎現代の日本社会における家族の別のあり方

夏目 家族のことを現代の日本でそういうふうに言われても、プライバシーのことがあって、なかなか問題を可視化できない状況です。

松村 だから、そこで新たな形を考えないといけないですね。そのときにやっぱり、家族を別の形、つまり単に血縁だけではなくて、別の人が関わる家族の形を考えないといけない。そのヒントがレッツにあると思います。

夏目 松村さんがこうすけさんという利用者さんに、私を指さして「この人は家族ですか?」と聞いていました。つまり、障害のある利用者に対して、いつもスタッフはケアをしているわけですけど、ケアをしている私はこの人にとって家族かと松村さんが聞いたんですよね。私は障害者福祉施設の利用者を子どもだとは思わないし、ましてや彼が私を家族だと思っているかは分からないですけど、少なくとも、ケアをしてくれる一人だとは思っているかもしれない。ケアするという意味では、さっきの「家族」、一つ屋根の下でご飯を食べさせているということでは似ているかもしれない。

松村 「私の子じゃない」と言ったときに、「私の子」って夏目さんにとってどういう存在ですか?何がこうすけさんを「私の子」ではなくしているんでしょうか?

夏目 え…(困惑)。こうすけさんのケアって、他のスタッフに「今は勤務時間外だから代わって」と代われるからでしょうか…。お母さんは逃げれない。

松村 逃げれないと思っているんですね。代わっていいじゃないですか(笑)。何が「私の子である」という感情を引き起こしているのか。それが「私の子ではない人」との間にどういう実質的な差をもたらしているのかは、一度立ち止まって考えてみた方がいいかもしれない。

ブッシュマンの例で面白いのは、赤ちゃんが砂糖を食べ始めても止めないという話。ある程度食べたら満足するだろうし、彼が食べたいのなら食べさせるべきと考えて、子どもの意思が徹底的に尊重される。そういう考え方を持っている社会において、「私の子である子ども」と「私の子でない子ども」の線引きはかなり微妙になる。

夏目 もし子どもがある人を選んだら、その人が親になる?家族になるってことでしょうか?

松村 そう。実際にさっき挙げた例のようになっていくわけですよね。だから住む場所もお嫁に出る家も子どもが選ぶ。結婚相手は生みの親じゃなくて育ての親に挨拶に行く。「私の子である」と言ったときに、親である私は彼/彼女の人生に助言や意見を言う権利があると思っている。だけど、レッツはそういうことを問い返される場所だと思います。

 

◼︎ケアをする関係を別の形の「家族」と呼ぶ

松村 たけしくんは数年前に自立生活を始めたんですよね。家族でずっと面倒を見てたけど、時間をかけてだんだんヘルパーさんにケアをしてもらうことに慣れていって。慣れるのにはどれくらいかかったんですか?

久保田 たけしの母です。自立生活は5年くらい前に始めて、慣れるのには2年くらいかかりました。

松村 その後にたけしくんが劇的に変わったという話を聞いたんですけど、ちょっと話を聞かせてください。

久保田 家のことが全てたけしを中心に回り、家族が奴隷のように扱われていると感じていました。でも、たけしが自立生活をして、ヘルパーに愛想笑いをできるようになったのはものすごい衝撃的でした。

松村 これまでは、自分は親だから、自分がいなければこの子は生きていけないという感じがあったんですか?

久保田 そうですね。レッツをずっとやってきましたけど、たけしを完全に委ねたことはなかったし、自分でも大変なのに人に委ねるのは申し訳ないという気持ちがありました。

松村 ヘルパーさんに頼むことが可能になったのはなんでなんですか?

久保田 私が限界だったのは明らかだったけど、たけしの場合は意思がわからない。でもどこかで、たけしが出て行きたいんだろう、もうお前たちじゃないと思っているんだろうなというのは感じていました。そこから彼の社会が始まった気がして。社会の中で自分が一人でちゃんと生きていかないといけないと本人は何となくわかっていて、その中でいろんな術を学んでいく、人と関係を作っていくということが本当に始まったんだというふうに今は思っています。

松村 例え親子であっても、普通に健康に育ったとしても、ある時は親元を離れて一人暮らしを始めたりする。そして、新しい家族を作るときは、他人と作るわけですね。家族は永続的なものではなく、子どもに手が必要な時に手をかける関係なのであって、関係を離れて、別の人とケアをする関係をもう一度取り結ぶ。そこで生まれるものを新たな「家族」と名づけてもいいかもしれない。

ここに来て印象深いのは、利用者さんもスタッフもみんなバラバラ。それぞれにそれぞれの個性をちゃんと認識しているのは面白いなと思いました。つまり、ここには、たけしくんをサポートするヘルパーという匿名の存在があるのではなくて、それぞれにやり方や癖が違う人たちがいる。おそらくたけしくんもそれぞれの相手を認識している。昨日聞いて面白かったのは、たけしくんのトイレ介助のやり方がヘルパーさんによって実は違う。たけしくんもそれぞれに合わせている。つまり、「この人と私」の関係が取り結ばれている。多くの場合、市場経済のお金を介した関係は、誰がやってもいい関係。人によって買うか買わないかを選ぶことはあまりない。商品が同じであればどこで買っても基本的に同じ。でも、レッツでは、一応お金は発生しているはずなんですけど、一人一人の顔と名前を持った存在、個性を持った存在同士がお互いに向き合っている。それは永続的ではないかもしれないけど、一般化された、マニュアル化された関係で行われているのではない。どこまで行っても「〇〇さんと私」という関係が結ばれている。これは「固有性」に基づいていると思うんですよね。私たちが家族を特別なものと思う根底にあるのも固有性。「私が生んだ」「私の子ども」とか。だとしたら、ある固有な存在として関係を持つことを、別の形の「家族」のようなものとして想像してもいいかもしれない。資本主義は乗り越えるべきものだと200年以上前から言われていますけど、どう乗り越えるかは難しい。でも、資本主義が前提とする商品交換の関係を脱することが、実はこのレッツの場では起こっていて、それには私たちが戦後に信じ始めた家族のあり方自体も脱していく可能性すらあるなと思いましたね。

 

◼︎複数の依存先を持ち、依存先との関係を見える化する

夏目 たけしくんを例にすれば、自立生活に移行し、依存する相手が久保田さんから様々なヘルパーに代わったことで、エチオピアじゃないですけど、ある意味、依存する先が多様になったというイメージでしょうか。

松村 そうそう。やはり関係が閉じると問題が外に漏れていかない。関係が開いていると問題も漏れ出していくし、何が今必要なのか、得意なことは何か、こういう状況にはこの人が対処できる、とかも見えてくる。レッツにもこういう状況にはこの人だというのはありますよね。スタッフのみなさんにも個性があるのが面白いなと思いましたね。この場所では、個性をそのまま職場で発揮できて、それがある種の強みになる。一様でも、正解があるわけでもない。人のケアに解決法みたいなものがあるわけではないと感じました。

夏目 ケアをする人が複数いることで、「自分だったらこうする」「自分だったらこうしない」みたいなことを発露することができる。考えていることを交換することができる。それは本人にとってもすごいいいことだなと思いました。

松村 父親母親以外に、もう一人の父、もう一人の母がいる社会はよくある。例えば、名付け親。それは、何か困った時に、父母ではない依存先・相談先があるということ。今の家族のあり方を一気に変えるのは難しいかもしれないけど、子どもに問題が起こったときに、それを察知したり相談したりする相手が親しかいない状況は回避すべきかもしれない。例えば、子どもが困ったときに相談できる近所のおじちゃん・おばちゃんとの関係があるとか、複数の依存先を作ることができると思います。

それに、私たちは依存しないと生きていけない。考えてみれば、現代の市場社会は誰かがものを作ってくれないと生きていけない状況にあるはずなのに、私たちは誰がそれを作ったのか知らない。実は私たちも依存しているけれど、その依存の関係が見えていない、隠されている。私が生きるためにものを作ってくれている人との関係をもう1回つなぎ直すことは今の世の中でもできないことはないですよね。だから、依存先のことをちゃんと知る。自分が働いているものの届け先のことも考える。見えなくされてしまっている関係のラインをもう一回見えるようにしていくことはやらなくてはいけないことだと思いますね。そして、福祉の制度を使いながら、別の家族やケアの関係を編み直すことがレッツでは起こっていると思います。

夏目 たけしくんの例で言うと、いろんな依存先をこちらは用意しているつもりでも、それを超えて本人にも選択する権利があるというか。本人の方がこの人とこういう関係を紡いでいくという、双方向の依存の仕方っていうのがきっとあるんだろうなと思います。私たちは「支援する」という言葉でついケアを提供しがちですが、子どもや障害のある人も自分で選んでいくという双方向の関係性があると思うんです。

松村 でも「提供」しているのかな?利用者とスタッフのどっちが主役かって言ったら両者が主役ですからね、この場所は。それぞれがしたいことをやっていることを見守る。そこにケアする人がどう関わるのかは悩ましいことだし、考えてらっしゃることなんだろうなと思いました。プログラム的なものは全然ないし、それぞれが今したいことをするのが基本、そしてそれに寄り添う、見守る。それが非常に徹底されている場だなと思いました。そういう方針になったのはどういう経緯なんですか?

佐藤 久保田さんから入社するときに話はあります。久保田さんは理念という言葉を大事にされていて。障害者を尊重するとか、障害者のためにではなくて、あなたはあなたでいてもらった方がいいと言われる。そういう理念は共有されています。

松村 スタッフもちゃんと「私」でいるし、利用者も「私」でいるのが、すごいなと思う。
夏目 複数スタッフがいるからそれができる。うまくいかなければ、別の人にいくということができる。それは家庭でもそうだし、このように開けた場所でも、それができるのは人がたくさんいるからだなと思います。

松村 家族がある種のケアの関係の場なら、ここで起きているケアの関係のあり方には、家族が置かれているケアのあり方を問い直すもう一つ別の見方がある気がするんですよね。

 

◼︎政策や仕組みができるとき民間や個人の動きが先行している

来場者A 「頼り」がキーワードだと思いました。親として家族を閉じているつもりはないんですけど、個人だけではない、家族以外の「頼り」をどう作っていくかが大事だなと思っていて。久保田さんはレッツを立ち上げて、たくさんの「頼り」になる人たちのネットワークを作ってらっしゃるけど、私はできてないな、どうやっていったらいいんだろうと思います。

松村 レッツのような場所を立ち上げるにはやっぱり仲間は必要ですかね。立ち上げていくにあたって仲間が集まったことはやはり力になりましたか?

久保田 でも、ボランティア団体で計画的に長年続けていくというイメージはなかったので、一緒にレッツを立ち上げたお母さんたちは、3年経ったらみんな、家族の状況の変化とかでやめていっちゃいましたね。それでやめてもよかったけど、自分がやめたら居場所がなくなるので、そこで組織にして。声はかけるけど、基本的には一人だったなと思います。

松村 じゃあ、基本的にはみんなのためにというより、自分のため、たけしくんのためにということだったんですね。それが形を結んで、アルバイトも含めて50人くらいのスタッフの雇用まで生む場所にまで成長したのはすごいですね。一人のために始めたのに、それがある種、社会的な仕組みとしての役割を持って、いろんな人が頼りにできる場所になったということですね。

夏目 松村さんは『くらしのアナキズム』の中で、必ずしも大きなシステムで自分の暮らしやすさや身の回りが変わるわけではない、自分の個人的な問題意識から動いていくことで社会は変わっていく、という話をされていますよね。

松村 はい。岡山に「岡山ネット懇」っていう組織があって、一人の精神障害を持っている人のケースに対応するために、弁護士会とか社協とか精神科のお医者さんたちとかがネットワークを作り始めて、それが全国的に注目されるモデルになっている。その経験から厚生労働省に働きかけて制度化が実現したりもしている。つまり、そういう制度って、国が作ってくれるというよりも、一人の人のために動き始めた人たちの働きかけによって作り出されたんですよね。福岡の「宅老所よりあい」の村瀬孝生さんもおっしゃってますけど、日本の福祉政策って国が整えてくれたんじゃなくて、民間や個人が先行してやったことを国が取り入れて制度化している。政策や仕組みができるときに、本当は民間や個人の動きの方が先行しているんだということですね。それは心に留めておいていいかなと思います。

 

◼︎依存先を可視化すると「贈与的な関係」が生まれて依存が循環する

来場者B 今日のお話を聞いて、一つの家族の中だけではなく、もっと広く、地域とか自治での「依存の循環」が起こっていると思いました。「依存した」「依存された」というやり取りの中ではどういうことが起こっているのでしょうか?

松村 依存が循環するためには、私は誰に助けられたかが明確に意識できることが必要です。そうでないとお返しもできない。今の社会は市場システムにすごい依存しているんですよね。なのにそれがなぜ循環しないのかって言ったら、誰から自分は助けられているのかが見えないから。自分が一人で生きているかのような幻想を抱かせる社会になっているので、私は誰かに助けられているから誰かにお返しをしようという感じにならないんですよね。自分が依存していること自体が見えなくなっているから、それをどう可視化するのかが一つのポイント。そして可視化されると、恩義みたいなものが出てきて、それが関係を継続させるんですね。この人にお世話になったからとか、生まれ育つ中でいろんなものに助けられてきたら、次の世代へ繋げようとなる。そうして恩送りみたいなものがちゃんと発動するようになる。それは人類学の用語で言えば「贈与的な関係」が生まれている。「贈与」というのは、匿名だと機能しないんですよ。プレゼントは欲しいものであったとしても誰が送ってくれたかわからないと怖い。プレゼントは名前があって、この人からもらうと分かるから嬉しい。でも、私たちは商品、例えばペットボトルを手にした時に誰が作ったかとか分からないのに、怖いとか思わずに飲むわけです。だから、商品は匿名が基本。「贈与的な関係」は名前のある関係として永続していくから、循環していくのだと思います。

 

◼︎周りの人が個人の特徴を捉えることで差別ではない関係性が生まれる

来場者C 私の夫が生まれた集落は山の中で、そこには障害のある方も何人かいるのですけど、その方は犬の散歩もするし、お祭りで係もしているんです。犬の散歩をしていても周りの人と違う行動をするので、周りの人は「あいつ、バカだしな」とか平気で言うんです。でも、彼はその集落で立場があって、ある役割を果たしているんです。そのように「頼りなさ」に依存して一つの役割を見出すという考え方も元々あったんじゃないかと思っているのですが、そのことをどういうふうに伝えていったらいいのでしょうか?

松村 『コモンの「自治」論』という斉藤幸平さんと松本卓也さんの本で、自治の柱になるのは何なのかということで、それは「店」だという話をしたんです。もはや村に戻ることはできないですよね。既存の町内会に来てくださいと言ってもなかなか人が集まらない。そういうときに「店」は誰もが立ち寄れる場所で、顔の見える固有の関係性が生まれうる場所なんですよね。

おっしゃるように、エチオピアでも障害を持つ人は半分バカにされたりする関係があるんですけど、今の日本ではバカにすることすらしない、バカにする関係すらない。そうするとどういう特徴を持っているかを周りの人は知らない。差別すら生まれないほど、周囲との関係が断たれている。そのときのポイントはそれぞれの人の特徴を周りの人が知っていることで、それはこのレッツで起きていること。レッツでは本当にみんなが多様で、周りの人が個人の特徴を捉えることによって関係が生まれている。それは村でなくても、街の中でも生まれうるものなんだと思います。

 

◼︎文化人類学者としてのフィールドに対するまなざし

来場者D 文化人類学者として初めていく場所に何を見ているんですか?普段どこに着眼点を置いているんだろうなと思いました。

松村 昨日、迎えに来ていただいて、簡単に説明を受けた後は「あとはご自由に」という感じで放置されたので、まず2階でスタッフの方々が会議していたのを観察しました。来週「凸凹まつり」があるからなんですが、この場所で「会議」とか「実行委員会」という言葉遣いが異様に聞こえたんですよね。それらはスタッフが普通にここで働く上では出てこない言葉で、私たちは会議で一体何をやっているんだろう?働くって何だろう?と思ったんです。周りは音楽が鳴っていたりするのに、そこだけ、言葉遣いも表情も違って、「働いている感」があった。そこで、私たちは働いているときに、独特の働いている感のある言葉遣いとか表情とか姿勢をしている。ケアの時とは全然違うんですよね。

なので、何を見るかは特に決めていないわけですよ。その場で起きていることで、何か面白そうなところにいる。でもそこに座っていると、会議だけじゃなくて、ちょっと利用者さん同士で小競り合いがあったりして、それがどう展開するかとかを見ています。

来場者D 例えば、この場に来て会議が行われていて、疑問が湧いてきた時に、その場に介入していくのか、それとも自分はいないものかのようにして観察するのか。

松村 介入は基本的にしないですね。最初はよくわからないし、ただいるってだけなんですよね。でも、介入はしないけど、私がいることで絶対に影響があり、当然その場を乱しているわけですよね。乱すことによって生まれる何かも、自分の身に起こることも観察対象になる。

昨日はその後、2階から1階に降りて来て階段に座ってたらすごく眠くなってきたんですよね。つまり、1階は全然「働く」という感じの空気ではなくて。なんかここは、さっきの2階での会議の空間とは違う時間が流れているのではないかと私の体が感じていた。そういう私の体の反応も観察対象になります。

「働く」って一体何だろう?働く感を出すことで働いているつもりになっているけど、実質はどういう意味があるんだろう?あるいは、「ケアする」ことが「働く」に見えないのだとしたら、それはなぜなんだろう?利用者とスタッフが突然外に飛び出して踊っている場面を見て、それは働いているようには見えないけど、それはここでの「働く」ことなんですよね。そうだとしたら、「ケアする」と「働く」がどういう関係にあるのかみたいな問いが芽生える。そのように問いを見つけていくということですかね。

夏目 ありがとうございました。



ひとインれじでんす2024 第2回
ゲスト 松村圭一郎さん(文化人類学者) 
開催日時 2024年9月14日 (土)  13:30〜 
会場 たけし文化センター連尺町


松村圭一郎さん 寄稿→

スタッフ所感→