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こだわり

 今年の春からレッツにやってきました、新人スタッフの塚本千花です。

 勤め始めて早4カ月、ひたすら驚き、戸惑い、爆笑するばかりだった日々は一旦落ち着き、今はここにいるひとたちとの関係づくりを、悩ましく愉快に模索しているところです。

 さて、“こだわり”という言葉をレッツで初めて聞いたとき、わたしは確かに違和感を覚えました。壮さんに腕を掴まれていた翠さんが、何度も彼を振りほどこうとしながら言ったのです。

 「たけし~、わたしにこだわらないで~」。

 会議でも、日々の過ごしの中でも、レッツのひとたちは当たり前のようにこの言葉をつかいます。「〇〇さんのこだわりだからなァ」「〇〇へのこだわりが強いからねェ」。

 今ではわたしも共通用語として”こだわり”を多用していて、すっかり馴染んでしまったのですが、最初に違和感を覚えたこと――それは決して嫌な感じのものではなくて、どうやらここでは生きていけそうだ、という予感を含むものであったことを、忘れないためにこれを書いています。

 

 わたしは大学や研修所で演劇を専攻したのち、演劇ではない仕事で食い扶持を稼ぎながら、創作活動を続けています( 自作自演のひとり芝居が主です)。

 という話をすると、十中八九「演劇が趣味のひと」というふうに解釈されます。ゼニを生み出さない行為は、ただの趣味なんだろうか?

 振り返ると、わたしは特に、切羽詰まってるタイミングでひとり芝居をつくってきました。結婚するために故郷を離れるとき。コロナ禍になって劇場が閉まったとき。 離婚して新天地へ引っ越すとき。

 一度、特に迷惑をかけてるわけでもない他人から、「いや、今演劇やってる場合とちゃうやろ」と厳しく突っ込まれてしまったことがあります。

 わたしにとって演劇は、自分が直面している問題とか、自分や他人に向き合うための手段なので、わたしの中には「いま、これをする」ということの必然性があるのですけど、ひとによっては(余裕のないときになんて金と時間と手間のかかることをしてるんだコイツ意味が分からねえ……)という感想を抱くこともあって、まあそりゃそっか、と納得もしつつ、かといって止める必要もないよなァ、ともやもや。

 

 わたしが最初、レッツで聞く “こだわり”という表現に違和感を持ったのは、その言葉のなかに「それが相手にとって欠かせない営みである」という前提が込められている、と感じたからです。

 コダワリは、固執とか執着とか、その言葉の対象となっているものが問題視される、という意味合いを持つ言葉でもありますが、たとえば、タケシさんがお椀にいれた石をずっとカシャカシャ振っていたり、マイさんが気に入ったものをガラスのビンに詰めていたり、リョウガさんがカレンダーを貼ったり剥がしたりする行為、それらはただ、意味もなく固執や執着しているわけではないと思うのです。

 どうしていま、それをするのか、わたしたち他人にはわからないけれども、彼らにはきっとその行為をおこなうことの必然性がある。それは、彼らが彼ららしくあるための「営み」に他ならない。わたしが、演劇について考えたり、つくったりするのも、同じことなんじゃないかなあ、と感じています。

 レッツのひとたちは、彼らのよく分からない行為が、そのひとにとっての「営み」であることを理解しているし、尊重している。だからここで言われる「こだわらないで~」とか「こだわりだからなァ」という表現は、意味わかんねえよ、とか、どうにかしなきゃ、っていうニュアンスではなくて、「どうやって共存していこうかねェ」という意味合いになるのだと思います。なんか、ナチュラルにそういう言葉が使われてる環境って、とっっっても素敵じゃん……?

 ここでの“こだわり”という表現が、レッツのソトでも、当たり前のように使われるといい。自分のためにそう思うのですけど、じゃあ、そのためにできることは何かしら。そんなことを、考えています。

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    • 飯田小百合
    • 2022年 8月 29日 1:31pm

    自閉症の子供(男、只今29才)を育てて来た母です。
    こだわり、、、これが難しい、、。
    どこまでがこだわりでどこまでがワガママなのか。常にそこの境目は何処かと探る日々を送っておりました。
    結局、『本人にしてみればこだわりやワガママなんて関係なく「ただそうしたいからやってるだけ」なんだな』という結論に達しました。
    本能の趣くままに、、ってヤツですね。

  1. 生きるために必要なこだわりや営みの大切さを認めてくれる人がいると助かりますね。
    そんな人のいる場所があり続けてくれると嬉しいです。

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